セクハラ擁護で辞任は当然でしょ?
ずいぶんみっともない仕儀となったわけだが、財務省の靴の裏を舐めながら記事を書く日経さんは、突然「ノブレス・オブリージュ」とか唱えだすなど、混乱が上手く隠せないようだ。
懸命に若い官僚を褒め上げることでバランスを取ろうとしているが、キャバクラに限らずもっと高級な「お店」での財務官僚の評判の悪さについて、日経さんが知らないはずはあるまい。連中の放つ「エリート臭」は、発情期のトドよりもひどい。
その辺のことは、財務省のホームページに堂々と掲載された「言い訳」を読めば、普通の人でもおおよそ察することができると思う。
さて、ここで思い出されるのが鳥越俊太郎なのだが、都知事選の際に文春や新潮の尻馬に乗って騒いでいた連中が、今度は必死で新潮を批判しているという図には、ふっと冷めた笑いを浮かべて肩をすくめるばかりだ。
今回の件、財務省側が「名誉毀損で提訴」とかわめいていたが、鳥越は選挙妨害だと文春・新潮を告訴して、東京地検に却下されている。
新潮は「赤報隊の犯人」だとか大ポカをやらかすが、こと下半身がらみについては、無類のしぶとさがある。
財務省側に何らかの「勝ち筋」が見えていたとしたら、政権との一体化であろう。実際、一度は「アンコン」されたテレ朝の上層部によって、事件はもみ消されようとしていたのだから。
麻生太郎が擁護していたことについて、日経さんは触れていないわけだが、当然批判されるべきではないのか。
社説で大臣について何も触れないところが、日経さんの日経さんたる由縁、というところか。
信仰対象のあべぴょんの留守を守って、立派な忠犬ぶりである。
今回の事件で明らかになったのは、政権と財務省が対立しているという「お話」はまったくの虚妄であって、逆にこの二つは運命共同体とも呼べるほどに癒着している、ということである。
辞任が当然なのは、擁護したアホもじゃないのかね?
それこそ日本はシンガポールを見習ったらいいんじゃないの?
昔々、日米経済摩擦が激しかった頃、シンガポールの独裁者リー・クァンユーは悲鳴のような苦情を申し立てた。
「二頭の象が喧嘩をすると、あたりの草がめちゃくちゃになってしまう!」
しかし、実際にはめちゃくちゃにならなかった。
逆にその摩擦から漁夫の利を得てシンガポールは大いに発展し、今や日本の「俺は経済がわかってるぜ」な連中から、日本が見習うべきモデルと憧れられてすらいる。
突然の憲法改正で「終身のトップ」も可能にした習主席のもとであらゆる政策づくりで党主導が一段と強まる見込みだ。いまや世界が影響を受ける中国の経済政策づくりの変化にも目を凝らす必要がある。
考えてみれば、中国での共産党独裁下の「自由経済」については、シンガポールという華僑独裁国家の先例があったわけだ。
中国が巨大なシンガポールになる、というのは楽観に過ぎるだろうが、日本がシンガポールのように2大強国の経済摩擦から漁夫の利を得ることは可能だろう。
それにはまず、経済についてさっぱり理解できていない「史上最弱の独裁者」を排除することが先決だ。
「史上最弱」というのは、もちろん「おつむ」のことである。
視聴者の「利益」ってなんだ
今回のゴタゴタについては、規制「緩和」よりもさらなる規制の上乗せの方が必要だろう。
少なくとも、政府関係者は放送内容に口出しできない、くらいのことはしないと。
だがそうすると、あべぴょんの心のよりどころになっている「朝日を屈服させた成功体験」がわやになってしまうので、現政権でそれを望むのはもぐらに空を飛ばせようとするようなものだ。
視聴者の「利益」について、日経さんは曖昧にしか書かないが、「利益」というものは一様ではなく、それがごく一部の連中に「不利益」となることはよくあることである。
その「一部」が権力を握っていた場合が問題なわけで、そこで生じる「不利益」がまるで「利益」であるかのように流通してしまう。
この場合、「利益」という単語を使って語るのは適当と思われないし、日経さんはこの問題について怠惰であると言わざるを得ない。
それは日経さんが「読者の利益」を考えて紙面を作っているか、ということを見ればわかる。日経さんにとって企業の利益こそが読者の利益であり、さらには自民党の利益が読者の利益だとしている。
それはジャーナリズムの死であるが、上つ方の宣伝媒体である日経さんにとって、それは当然のことなのだろう。
視聴者の「利益」を云々するということは、テレビからのジャーナリズム排除を当然とする、ということである。
NHKもこうした課題に直面しているのは言うまでもない。
最後に「言うまでもない」ことをわざわざ付け足しているが、NHKにはその自覚が薄いということか。
それはもしかすると、NHKにはまだジャーナリズムがニホンウナギ程度には生き残っている、ということかもしれない。
「やあシンゾー、今度はどんな回転を見せてくれるんだい?」
というわけで、「トランプ&あべぴょんのずっこけ珍ゴルフ」が近日上演の運びとなっているわけだが、日経さんとしては色々とお土産の注文があるらしい。
北朝鮮問題と並んで主要議題になるのが通商問題だ。
日本は米国に追加関税の撤回を求めるべきだ。
中国の知財権侵害や過剰生産などの問題では、日米欧が協調し多国間の枠組みで解決を目指すよう、安倍首相はトランプ大統領を説得する必要がある。
このうちどれか一つでも「前進」があったなら、外交成果として大々的に発表し、支持率逆転につなげてモリカケをなかったことにしてしまおう、というのがあべぴょんとその熱烈な信者である日経さんの目論見なのだろう。
ただ、さすがにTPPについては諦め気味である。
米国抜きのTPP11の署名にはこぎつけたとはいえ、米国がすぐに復帰する見込みは小さい。
元はビジネスマンであるトランプが手ぶらで返すという見込みも小さいだろうから、なんらかの「お土産」を持たせてくれることはあるかもしれない。
しかし確実に、そのお土産の何倍も献上する約束をさせられることだろう。
それでも去年までなら、メディアがこぞって持ち上げてくれただろうが、果たしてどうなることやら。日経さんは今からマンセー社説を準備してそうだけどね。
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追記
トランプ氏、TPP復帰検討を指示 議員との会合で (写真=ロイター) :日本経済新聞
ほとんど諦めてたところへ、朗報の予感。
代わりに何を要求されることやら。
もはや「ハチ公」のレベルとなった日経さんの忠誠心
標的に向かって空砲を撃ってドヤ顔する、というのはどんな身振りなんだろう。
ともあれ、この社説からひしひしびしびしと伝わってくるのは、日経さんの揺るがぬ「信仰心」である。
泥棒に自分を取り締まらせようというのだから、日経さんは本気であべぴょんを守り通すおつもりらしい。
飼主がピンチの時こそ忠誠心が試されるということだろうが、雨ざらしの犬の目をした佐川くんを超え、日経さんの信仰はもはや石像となっていかな嵐にも揺るがなくなった「ハチ公」の域に達したようだ。
ここでちょっと気になるのは、日経さんの「上つ方」の意向である。
あべぴょんが辞任したら、「アベ」ノミクスが崩壊して相場がえらいこっちゃになって、日本経済がとんでもないこっちゃになるぞ、という脅し文句に、本当にビビっているのだろうか。
それとも、大枚はたいたマルチの健康食品がとてつもない腐臭を放っているのに、高かったんだから勿体ないといつまでもキッチンに置きっ放しにしているような、そんな心境なのだろうか。
叱るフリだけでどこまでも許す日経さんの愛
よくもまあぞろぞろと。このようなことが連続するということは、常習的に隠蔽が行われているということであり、またこれもたまたま判明した「氷山の一角」でしかないということなのだろう。
日経さんは相変わらず、厳しいフリをしつつも子供を甘やかす母親のように、政権に対して「苦言を呈する」にとどめている。
イタズラ坊主に笑顔で優しく「ダメよ〜そんなことしちゃ〜」と諭しているようなもので、悪ガキは一向に反省することがない。
子供の個性を尊重する教育に対し、あべぴょんは「愛国心」で塗り固めようとしているが、自分自身はわがまま放題が許されると考えており、日経さんもまたそんなあべぴょんが可愛くて仕方ないようだ。
本来こうしたことは、保守の側、とりわけ自由主義を奉ずる人間からこそ、激烈な批判が上がって然るべきはずだが、日経さんはあべぴょんに関する限りにおいて、自由主義なんてどうでもよくなってしまうらしい。
実は日経さんは自由が嫌いなのだろう。
そして、その読者たちも。
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「書き換え」を「改ざん」にした日経さんの安堵
日経さんが「書き換え」の表現を「改ざん」とした。NHKもまた足並みを揃えている。
どうやら政府の関与は無しということで押し切れそうだ、とどこかの誰かが安堵し、日経さんもまたそれに倣って胸をなでおろしたのだろう。
日経さんのアッキードについての書きっぷりから伝わってくるのは、日経さんご自身ではこの問題について一切自発的な調査はしない、ということだ。
政府に「何とかしろー」と言っているようで、小声で「がんばれー」と言い添えている、という感じだ。日経さんは苦言を呈しつつも、決して「内閣は退陣せよ」とは言わない。
雨ざらしの犬のような目をした佐川くんは、国家への愛着よりも政権への忠誠を優先した。
先日の田舎芝居のような証人喚問について、疑問点は他所で出揃っているので、ここで繰り返すようなことはしない。
不思議に思うのは、籠池が証人喚問を受けた時、どうして同じように口をふさがなかったのか、ということだ。
おそらくは佐川くんに提示したのと同じく、その後の人生を優雅に暮らせるだけの見返りによって、その「忠誠」を「買う」ことはたやすくできたはずだ。
やらなかったのは、あべぴょんという男の人間の器がヒアリのふんよりも小さい、ということに起因している。
変に相手を大きく見積もるのは、思うツボという奴である。
あべぴょんが通常の器の持ち主なら、すでに問題は片付いていただろうし、だいたい最初からこんなことに足を突っ込むこともないだろうからだ。
この低劣な混乱に対し、公文書改竄などという「重罪」を惹き起こしたことそのものが、すでにあべぴょんが「総理の器ではない」ことを如実に現している。