ぜんぜん禅じゃない
座禅でバシッ…体罰にあらず
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201305030430.html
禅宗と言えば一休さんとか良寛さんとか、みんなに愛されるイメージが定着しているようだ。
そこで、心に残る「禅の話」をひとくさり。
黄檗和尚は出家して以来、一度も生家に帰ることがなかった。
が、あちこち行脚するうちにふと故郷へと来てしまった。
道端に旅の雲水を休ませる場所が設けられており、黄檗はそこに立ち寄った。
その四阿では一人の盲目の老女が雲水の脚を洗っていた。黄檗は、その老女が自らの母親だと気がついた。黄檗の左足にはホクロのでっぱりがあり、老女はその特徴を持つ雲水を探していたのだ。
黄檗は右足のみを洗わせ、母に釈尊の出家の話を説法して立ち去った。
黄檗が故郷を去った後、おせっかいが老女に「今のがお前の探している息子だ」と告げた。
老女は気がふれたようになって、黄檗の後を追った。それを見た黄檗は川から舟に乗って去った。老女はなんとしても追いつこうと、川に飛び込んだが、船に追いつくことなく溺れ死んだ。
その様子を目の当たりに見た黄檗は「一子出家すれば、九族天に生ず」と叫んだ。
一人出家すれば、親類縁者は天国に行けるから死んでもよい、という意味である。
これが禅門の引導香語の始まりとされる。
宗教ってのは、こうしたもんです。それは禅宗だって変わらん。「禅は宗教じゃなくて哲学」なんてのは妄想ですよ。