『風立ちぬ』を見たので思い出話を少し
妻がまだ幼かった頃、小学生になると同時に父親が転勤し、少々の事情があって母親も働きに出ることになった。母親の帰宅が夜になるため、たまたま学校の近くに住んでいた母方の祖父の手間を借りることとなった。
妻は毎日「じいちゃん」の家にいったん帰り、ランドセルを置いて友達と遊びに行ったり、宿題をしたり絵本を読んだりして母親の帰りを待った。
「じいちゃん」は必要なこと意外はめったに喋らず、ほとんど笑うということをしない人だった。
それでも妻が高熱を出して倒れたときは、「いかん、いかん」とうろたえ、走って医者を呼びに行ったそうだ。その家には電話がなかったのだ。それどころか、テレビもラジオもなかった。
「じいちゃん」はいつも、新聞を読むか、お茶を飲むか、ノートに何事か書き付けているだけだったという。
日が暮れると、家の中はすっかり淋しくなる。
妻は「じいちゃん」に一生懸命おしゃべりをした。学校のこと、友達のこと、絵本で読んだお話などなど。そしてときには習った歌をうたったり、自分で考えた「へんてこたぬきおどり」を踊ったりした。
その時だけ、「じいちゃん」はにこにこした。「じいちゃんのことが大好きだった」と妻はいう。
やがて「少々の事情」のかたがつき、母親が仕事を辞めて家にいることになったので、妻は「じいちゃん」の家に行く必要がなくなった。
それから半年ほどして、「じいちゃん」は突然亡くなった。
小雨の降る日、生け垣にもたれるように倒れているのを近所の人が見つけた時には、もう息がなかったという。心筋梗塞と思われた。
葬儀の日、妻は生まれて初めて強い罪悪感に襲われた。
母親が家にいるようになってから母に甘えるのに忙しく、「じいちゃん」の家に一度も行かなかったからだ。
成人して上京した折に、妻は伯母さんから「じいちゃんは、昔、『中島飛行機』の技師だったんだよ」と教えられた。(それまでにもどこかで耳にしたはずだと思うが、記憶に残らなかったと思われる)
敗戦で職を失い、妻を亡くし、そして生まれ故郷でもなければ知己もいない場所で、なぜ一人で暮らしていたのか、その理由は判然としない。妻たちは後から近所に転居したのだ。
妻が「じいちゃん」に披露した「へんてこたぬきおどり」は、今は娘に伝授されている。私がへとへとになっているときなど、二人して踊ってみせてくれる。
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