国が守りたいヒミツとはなにか
誰しもヒミツの一つや二つは持っていることだろう。そして、そのヒミツを守るために、誰もが少しづウソをついている。
誰でも知っているはずだ、ヒミツを守ることはウソをつくことであり、ヒミツを守ることを正当化することは、ウソをつくことを正当化することだ、と。
黙ってればバレない程度のことなど、ヒミツとは呼ばない。ただの内緒ごとだ。
そんなわけで、ただいま政府は「公務員はウソをついても良い」という法律を作りつつある。別にヒミツを守るためでなくとも、それがヒミツに抵触する恐れがあるのではないかと危惧される事象がわずかに存在しなくもないような感じがする、という程度の「感触」があれば、そのウソは正当化される。というか、ウソをつく動機がお手軽に手に入るようになる。
国家の機密を守るためでもなんでもなくても、これまで多少なりかかっていたブレーキはとっぱらわれ、公務員たちは一切の罪悪感を抱かずにウソをつけるようになる、というか、ウソをつくことを「正当に」もとめられるようになる。上ツ方の辺りから。
こういう空気の醸成、拡大解釈は常に行われる。彼らにかかれば、ラクダを針の穴に通すなど、雑作もないことなのだ。
今回のこれは、杞憂でもなんでもない。
秘密保護法とやらが通過すれば、絶対確実に起こることだ。
奇妙なことに、、普段公務員叩きにいそしんでいる人たちが、この法律を支持している。
彼らは「国家機密を守るとかしないと、エージェントが活躍するような面白い世の中にならないじゃないか」という程度の認識なのかも知れない。
そして、ヒミツは国民の生活を息苦しいものにするだろう。
しかし、国民にはどうしてそうなるかはわからない。それこそがヒミツであり、そうなることこそが秘密保護法の本来の存在意義だからだ。
キャンペーン/安倍晋三内閣総理大臣-特定秘密保護法案を廃案にして欲しい