特定秘密保護法を支持する「気分」
大正十二年、関東大震災が首都圏を襲った。死者・行方不明者は10万を越えた。
これがきっかけとなって、大正デモクラシーはついえた、とされている。
社会の「気分」の中に、後の時代からは推察しづらい変化が起こったようだ。
昭和4年に世界恐慌があり、世界経済は低成長が続いた。日本は世界に遅れまいと金解禁を行い、デフレに取り付かれた。
昭和8年高橋是清は再度金輸出をとどめ、日銀に国債を買取らせ、今でいうリフレ政策を断行した。これは一応図に当たり、低成長の波から日本だけが抜け出し、「繁栄の孤島」とまで呼ばれるようになった。
……順序がばらばらだが、大体のパーツが揃っている、というところか。ああ、米穀統制法もあったっけ。しかし、これは減反廃止とはニュアンスが違うように思う。
こうした中、所謂知識人層、インテリゲンチャという人々は、ことあるごとに声をあげ、思うようにならなくて頭を抱えた。
やがて昭和11年に2.26事件が起こり、なぜか軍はその発言力を増して行く。
大衆が共有する「気分」が、それを後押ししたことは間違いない。
それはどのような「気分」か。
「ざまあみろ」「いい気味だ」という気分だ。
所謂、ルサンチマンというやつである。
それははっきりと口にされずとも、インテリだけでなく、「理性によって語る人」、いや「理性」そのものにたいする侮蔑として共有された。
そして、軍はその「気分」によって、大衆からの支持を取り付けたのだ。
特定秘密保護法とやらが可決され、当時の「気分」というものが実感できるようになった。
現在、安倍政権を支えるものは何か。安倍政権は何によって支持されているのか。
たとえば、原発について一般人がどのように考えているか。明確に意志を表明することなく、日々の生活にいそしむ人々は原発について「考える」というヒマがない。
どこまでいってもその思考は「反」antiによって成り立っている。
安倍政権は、そうしたルサンチマンに寄り添う形で存在している。
であるがゆえに、たとえ消費税を増税しようが、公約を破ってTPPに賛成しようが、沸き立つ世論に背を向けて特定秘密保護法を成立させようが、官房長官がぬけぬけと言い放った通り、「国民の理解を得られている」のだ。
具体的に書こう。
今回の秘密保護法成立にあたり、マスコミだけでなく各界知識人・文化人がこぞって反対を表明したが、安倍政権は一顧だにせず強行採決を行った。
彼らは、自分らを支持するものに対して、忠実に行動したのだ。
知識人や文化人、ネット界隈で「ブサヨ」とレッテルを貼られるもろもろにたいする「ざまあみろ」「いい気味だ」というルサンチマンに対し、彼らは忠実に行動したのだ。
だから、反対運動が盛り上がれば盛り上がるほど、彼らはかたくなになり、よりいっそう法案採決に向けて邁進することになったのだ。
戦前、左翼だけでなく、右翼からも軍への批判はあった。
しかし、それらの「理性」的な批判を侮蔑する大衆の「気分」が軍を支持し、その暴走を許したのだ。
また同じバカげたことが繰返されるとは信じたくはない。
だが、「理性」によって批判すればするほど、ルサンチマンによって支持されるものはその行動を先鋭化させる。故に、この先どのようにするのが効果的なのかよくわからない、というのも確かなのだ。