アートという罠?わからなくもないけれど少しひっかかる
小沢健二さんの「アートという罠:アートではなく」を聴いて思ったこと
http://d.hatena.ne.jp/tatsuyamatsumoto/20100129/1264721805
ブクマに書ききらないのでこちらにメモっておこう。
>アートを通じて、貧しい人たちの心に、野心を高めさせ、燃えたぎらせ、優秀さへの野望を常に胸に抱いて他人を出し抜こうとする嗜好など、ネオ・リベラリストたちが好む欲望を植えつけることを、アート政策の目標にしているのです。
なるほど。しかし、「野心を高めさせ、燃えたぎらせ、優秀さへの野望を常に胸に抱いて他人を出し抜こうとする嗜好」は元々芸術家が有していたものではないだろうか。もちろん、それが全てではないが。新自由主義者たちが、自分たちのいじましい「金儲け」を「野心を高めさせ、燃えたぎらせ、優秀さへの野望を常に胸に抱いて他人を出し抜こうと」した結果であるかのように喧伝するのは、一種のロマンティシズムというか、カメラの前でキメポーズをとっているようなものだと思っている。新自由主義者はリアリストを気取るくせに、自らを評するときはロマンティックが止まらないという感じで、むせ返るほど青臭い。それが多くの人を魅了するのかもしれないが、そういうのは芸術だけにとどめておいてもらいたいものだ。
>なぜ、セルフ・エスティームを高くすることが革命を阻止するのでしょうか。
別に阻止はしないだろう。きっかけさえあれば、それが起爆剤になることもある。むしろ現状では、セルフ・エスティームとやらが低すぎて、ときの政権党に自己を同一化させてしまうような人間が増えている。
あと、分子とか分母とか言っているが、「希望」と「願望」と「欲望」を都合良く区別できないのが人間というものではないのか。
しかし、言いたいことはおおむね同意できるので、この辺にとどめておく。