アベノミクスと国体

 国体と言っても体育の大会ではなく、その昔天皇とイコールで結ばれていたやつの方だ。

 なぜアベノミクスが高い支持を受けているかというと、それが現代日本の「国体」を守っている、と思われているからだろう。

 この21世紀における日本の「国体」とは何か。

 それはやっぱり「経済」だろう。

 落ちぶれたとはいえ、日本と言う国家の依って立つところを、精神的な面からすらも「経済」に求める人は多い。

 それはもはや経済学が取り扱う経済ではなく、一種の狂気のごとき「経済」である。

 だからこそ、「日本経済」を害すると目されるものは皆「非国民」の扱いを受ける。生活保護がその代表例である。

 中国・韓国への反発心の原因を先方の反日的態度などに求める言説は多いが、元々の要因は両国の経済発展だろう。韓国はサムスンの躍進であり、中国は開放経済の成功が、日本から中韓への「嫌悪」と呼ばれる感情の底流になっている。

 ヘイトスピーチを振りまく極右に同調することはなくとも、国体たる「経済」を守らんとするアベノミクスを讃仰し、内実は在特会と大して違いのないあべぴょんを支持してしまうわけだ。

 

 国体たる「経済」発展のために、日本国民は一億火の玉となってその命を投げ出す覚悟を求められている、というか、日本国民自身が率先してそうしようとしているように感ぜられて、なんともイヤな気持ちになる今日この頃なのである。

 

 

「進め一億火の玉だ」―15年戦争と庶民の戦争協力 (語りつぐ戦争シリーズ)