つ鏡、ということ

 年をとって、鏡を見ることが多くなった。

 若い頃は一日3分も見なかったのだが、今はしげしげと覗き込む時間が増えた。

 鏡の中には、記憶の中の自分とは違った「現実の自分」が存在する。笑ったり怒ったり、あれこれと表情を作り、他人の目にどう映るのかという研究に余念がない。それを見る妻はややあきれ顔だ。

 こうしてじっくり見てみると、やはり年齢というものは確実に皮膚の上にその痕跡を残すものだ、ということがわかる。頭の中でわかっていても、鏡で実際に見るとその印象が改めてくっきりする。

 

 昨今、本屋をぶらぶら歩くと、「日本という国がいかにすばらしいか」ということを謳い揚げた書物が目につく。テレビでもそうした特集がちらちらある。(テレビはまったく見ないが、テレビ欄には目を通している)

 「オレはまだまだ若いもんには負けん」といっている年寄りの姿が目に浮かぶ。

 若返りなど幻想だ、などということが言いたいのではない。

 変化を受け入れようとしないかたくなな態度が、思惑とは逆さまに、より一層その「老化」を推し進めるのだ。

 自らに刻まれた「年輪」を受け入れることなしに、本来の力を発揮することなどできない。

 

 変化を拒み、過去を「トリモロス」とのたまう首長をいただき、今の日本はさながら「冷や水に飛び込まんばかりの年寄り」のようだ。

 

 

新老人の思想 (幻冬舎新書)

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