ボールは宙に浮いたままだということ

『「朝日新聞の大罪」を問う』

 お父上には世話になったのであまり言いたくはないが、投資を生業とする人間がこのような認識で大丈夫なのかな、と思う。リスクをとらねばリターンを期待できないように、報道は向こう傷を恐れてはスクープをものにできない。まったくリスクをとらない投資家などタンス預金をしている婆さんと大して変わらないように、誤報を恐れる報道機関などは存在価値がない。K.Y.珊瑚のような捏造は問題だが、誤報についてスタンスを定めたことについてとやかくいうのは、納得の上ですすめたマネジメントで損したとたん「どうしてくれる」とわめくヤクザまがいと似たようなものだ。

 

 さて、日本の従軍慰安婦なるものについて、あまり専門的な知識はない。せいぜい岩波新書を一冊読んだ程度だ。

 

従軍慰安婦 (岩波新書)

従軍慰安婦 (岩波新書)

 

  あとは、いわゆる「否定派」に分類されるであろう人たちのサイトを読んだ。

 意外に思われるかもしれないが、「肯定派」と目される人たちのほうは目にすることはあってもあまり読んでいない。

 しかし、「否定派」の人たちの意見は、おおむね論理的構成が甘く、論の着地点がどこにあるのか不分明であることが多かった。とにかく「ない!」と大声で断じてはいるようなのだが。

 従軍慰安婦については、今更吉田証言とやらが虚偽だったからと言って、その問題が消えるものではない。世界の趨勢はすでに性奴隷について断固たる態度を持って望む流れとなっており、その中で日本が「慰安婦」についてクレームをわめき続けるなら、無芸な道化のごとく扱われるだろう。

イスラム国が1500人性奴隷に=少数派女性ら―国連声明 (時事通信) - Yahoo!ニュース

 これは慰安婦云々とは関わりなく、私が知る限りでは90年代頃からもちあがってきたもので、日本の従軍慰安婦の問題の問い直しなど、この流れの中の一部でしかない。「なんで日本ばかり」という幼稚な物言いは、恥をさらすばかりだ。

 

 朝日の特集は読むには読んだが、果たしてどれだけの読者がこれを読むのか疑問に思われた。おそらくは、もっとも熱心な読者は「否定派」の人々だっただろう。

 これまでかなり散らかり気味だった慰安婦についてのスタンスを、やや遅まきではあるが朝日は固めることにしたわけだ。(個人的には少々不満が残るが)

 ではこれに対し、いわゆる「保守」と呼ばれる側はどのようなスタンスで望むのか。

 もう相手を罵倒することで印象を操作する段階はとうに過ぎている。

 ボールは「右側」に投げられているにも関わらず、未だに受け手は現れないようだ。

 読売なり日経なりが、きちんと表明することをのぞむ。できれば社説以外の記事として。

 

 なお、ここで述べる報道機関の範疇には、産経新聞聖教新聞は含まれていないことを念押ししておく。