サンピンの思い出

 サンピンというのは、竹村健一渡部昇一堺屋太一の三人をまとめた呼び名である。「一(ピン)」が三人だから「サンピン」と、江戸時代の下級武士への蔑称に引っ掛けたわけだ。ここに深田祐介を加えて「サンピン一介」ということもあったが、さして定着しなかった。私も深田についてはあまり視野に入ってこなかった。

 サンピンはいろいろなところに引っ張りだこで、竹村健一は毎日のようにテレビに出演し、渡部昇一は毎月のように本を出し、堺屋太一もまた同様だった。そして、三人でよく鼎談したり、講演会やシンポジウムめいたものを催したりしていた。

 

 告白すると、「社会」というものに目を開き始めた中学生の私にとって、サンピンはアイドルのようなものだった。それは高二の頃まで続いた。

 もはや過去の人と言っていい三人だが、やや個人的な感想を書き留めておきたくなった。

 

 竹村健一は異様なヘアスタイルと関西弁で、一世を風靡した。元々はマクルーハンを日本へ最初に紹介した、ということで出て来た男だ。

 彼は右派ではあったが、右翼的なものには距離を置いていた。ポジションとしては「米共和党の代弁者」というのが一番しっくり来るように思う。

 石原慎太郎に「三国人などと言わない方が良い」と忠告し、慎太郎が「親友の竹村健一さんがこう言ってくれたから」と発言したのに対し、「僕は石原が親友だと言ったことはない」とその当時を振り返っている。そのくせ『わが友石原慎太郎』などという本をぬけぬけと出版していたりする。

 

 渡部昇一は文章の読みやすさなら三人の中で一番だっただろう。ベストセラーも多く、『知的生活の方法』や『文科の時代』は数多の人に影響を与えた。私も読んだ。

 ただ『日本そして日本人』という本は、大々的に宣伝されてはいたが、当時高校生だった私が読んでも甚だ拙劣に感じられるシロモノであった。この辺りでサンピンに飽き足らなくなり、中央公論を経て朝日ジャーナル現代思想を手に取るようになった。

 

 かなり昔、父は堺屋太一と面識があった。自宅に伺ったこともあるという。万博が開催されるころは「日本にこんなすばらしい人がいるのかと思ったものだった」そうだ。過去形になっているのは、最近は橋下を推したりなどおかしな行動が目につくからである。

 「陰謀論のようなものは採らない」と何度か本に書いていて、サンピンでテレビ鼎談したとき竹村と渡部がそれっぽい話を交わすと、ちょっと困ったような顔で目線を下に落としていたことを思い出す。

 

 以上、青春の小っ恥ずかしい思い出である。

 キャンディーズのファンだったという方がまだマシに思える。

 

 

青い春―松本大洋短編集 (Big spirits comics special)

青い春―松本大洋短編集 (Big spirits comics special)