「実用化へ」が実用化できるといいなあという期待だけに終るのはなぜか
日経にはちょくちょく企業の提灯記事が載る。
メーカーについての提灯は形が決まっていて、なんとかかんとかいう新技術を「実用化へ」と書く。だいたい○○○○年を目処に、とか、もう少しでできそうに書く。
まあ、ほんとに出来たものもあるが(マグロの完全養殖とか)、ほとんどの場合株価が朝立ちするだけで終る。
今回の社説だが、ラストのぐにゃぐにゃな結論といい、日経の立場上のつらさがよく伝わってくる。「エントツさん苦しそう」という感じだ。
私が知る企業の研究者は、おそろしく安い給料でほぼ休みなく働いている。分野によっては、自宅に帰ることすらままならない。ブラックと呼んでも良いように思うが、そうした声が起こらないのは、働いている本人が、「労働」ではなく「仕事」をしていると無意識に認識しているからだろう。
労働と仕事をごっちゃにすることが、日本の雇用環境を混乱させていると思う。
>「なぜ研究者だけが特別扱いなのか」
という声にもそれは顕れていて、特別なのではなくもともと別物なのだという認識が、社会だけでなくこの社説の筆者ですら持ちえていないことがわかる。日本で「労働」運動が今ひとつ熱を持たないのも、その辺に理由がありそうだ。
発明するのは研究者だが、それを実用化して世間に出すのは企業になる。
発明をそのまま法人帰属とするのは、仕事を労働へと変質させ、そこから活力を奪うだろう。
しかし、すでに多くの企業でそれがなされているのが日本の現状である。それは日経の提灯記事がさっぱり現実のものとならない、ということからも明らかなのだ。
労働と仕事については、アーレントの『人間の条件』を参照のこと。
- 作者: ハンナアレント,Hannah Arendt,志水速雄
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