美しい国の「道徳」


道徳教育には伸びやかに取り組みたい :日本経済新聞

 

 確か山本夏彦のエッセイだったと思うが、戦前でも修身の教えなど真に受けるものはおらず、学級で「親孝行」などの言葉をうっかり口にしようものなら、たちまち笑い者にされたそうだ。

 もはや政府の中にも戦前の記憶を持つものは少なく、無い物ねだりの理想を「修身」の中に求めるなど、お子様の妄想と大して変わりがない。

 だいたいこの、ネット全盛のご時世に「道徳」など、地対空ミサイルに棍棒で立ち向かうようなものだ。いじめはより陰湿なものとなるが、成果を出さねばならぬ「現場」は、なんらかのごまかしを講ずることだろう。しかし、すぐにばれてしまうだろう。

 いらだつ政権側は、ネットの規制を本気で考えるようになり、それはこの政策を支持する人々にとってすら、あまり喜ばしくないものとなって現れる。まあ、この程度は予測しておいた方がいい。

 

 そこで「愛国心」を万能の薬のごとく持ち出すなら、それはいっそう醜い有様となるだろうことは、昨今のヘイトスピーチのごたごたが先取りして教えてくれる。

 「愛国心はならず者の最後の隠れ処」と言ったのはサミュエル・ジョンソンだ。

 このセリフは仲間内の対話の中でいきなり飛び出してきた、と『サミュエル・ジョンソン伝』を書いたボズウェルは語る。

 ボズウェルが「いや、まともな人もいるでしょう」と反発すると、サミュエル・ジョンソンは「それは誰かね?」と聞き、ボズウェルが一人の名前を挙げると、ジョンソンは「多少はマシな程度だ」というような反応だった。

 ボズウェルが挙げた政治家の名前は、伝記の本文には記されていないが、エドマンド・バークではないかと言われている。

 この自由主義じみた保守主義者は、「歴史とは、注意を怠れば、我々の精神を蝕んだり幸福を破壊したりするのに使われかねない」という言葉を残している。

 

 

フランス革命の省察

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