ルイセンコ経済学
自助努力だそうだ。
結局は個々人の「努力」という不確かなものに頼る、ということは経済学的な態度と言えるだろうか。経済学が「科学」というものであるのなら。
その考えは、生物を厳しい環境におけば、環境にそって進化するとしたルイセンコの学説と同じものだ。
なぜこうした考え方について、「ニセ科学」と難じる人が現れないのだろう?
それどころか、世の経済評論家はおろか、経済「学者」と呼ばれる人ですら、この「努力」というものを信じてやまない。
もっともらしいグラフや数値を並べ、小難しい理論を言い立てても、結局頼るところが個々人の「努力」であるなら、そのようなものは科学ではなく、文学の類い、SF小説かなにかのようなものだ。
努力云々など、知的生き方文庫にでもまかせておけばいい。
「経済」を語るはずの新聞が、社説で垂れ流してよい言論とは、とても思われない。
追記
こうした論とこのようなツイートとは、半歩と離れていないということを任ずるべきだ。
だいたい、76歳にもなって生活保護とは、これまで国民の義務を果たしてこなかった自分自身を責めるべきではないのか。国の施しを受ける立場で、厚かましくも裁判に訴えるとは…。彼らの保護費を負担するのは私たち現役世代である。
— 金子快之@札幌市 (@kaneko_yasuyuki) 2014, 12月 1