ファシズム宣言!

 昭和7年1月8日(金曜日)、読売新聞に以下の宣言が掲載された。その年の文芸時評の一回目である。

▽僕は、光輝ある読売新聞を通じて、僕が一九三二年より、一九三三年まで、ファシストであることを、万国に対して宣言する。

▽「中央公論」新年号「現代一百人」の中(うち)で「反省しなけりゃ、お前も駄目だ」と、書いてあったので、毎日、女のことと金使いの事で、反省ばかりしている僕は反省くらい何でも無い、と、その新聞(この名を書くと、無料広告になるから、書いてやらない)を見ると馬鹿野郎が「階級闘争をかいてない」とか「斉彬を神様扱い」にしているとか、そして、僕の「戦争と花」とを、ファシズムだとかーー君らが、そ、そういうつもりなら、ファシスト位には、いつでもなってやる。それで、一二三ん、僕は、一九三二年中の有効期限を以て、左翼に対し、ここに、闘争を開始する。さあ出て来い、寄らば切るぞ。何(ど)うだ、怖いだろう、とーー万国へ、宣言する。 

  以下だらだらと続くが、無意味なので省略する。仮名遣いや漢字は新しいものに改め、読みづらいものはカッコ内に読みがなを振った。

 駄文の類いと言っていいが、この酔っ払いのオダの如き文章は少なからぬ波紋を呼び起こした。

 書いたのは直木三十五という、今では直木賞にのみその名を留める作家である。

 

 昭和7年当時、ヒトラーはまだ政権掌握どころか、大統領選に出馬しようかといったところである。上記宣言がなされたときは、まだドイツ国籍すら得られていなかったはずだ。

 その頃既に「ファシズム」はヨーロッパの「最新流行」であり、左翼からは罵倒語の一種のように用いられていた。

 直木三十五も罵倒されて逆に開き直り、上記のような宣言をなしたのだろう。

 「いよいよ本性を現したな」とさらに突き上げられるなか、ただ一人青野季吉というプロレタリア作家だけが直木を弁護した。「これは直木の一面だけであって、その本質ではない」と。

 おそらくそれは友情と恩義からくるもので、文学的な深い分析ではなかっただろう。引受け手のなかった青野訳の『蒼ざめたる馬』(ロープシン)を出版できるようにしたのが直木であり、非合法活動中の青野をかくまい衣服をあつらえたのも直木だったからだ。

 

 そう、それは確かに直木三十五の「本質」ではなかっただろう。

 だがしかし、ファシストであるということは、その表層だけで充分なのだ。

 なぜならファシズムとはただの「気分」であり(アーレント流に呼ぶなら「様式」か)、緻密な論理だの確固たる信念だのは必要としないからだ。

 

 こうした「気分」に感染するのは、一段高見に立ってそれらを相対化するような、中立・中道をきどる、一昔前のポストモダン的な人たちが多いだろう。「ネトウヨ」と巷間呼ばれる人たちは、元々病原体なので感染云々は関係ない。

 ファシズムの「気分」に感染した人たちは、おおよそは病識を持つことなく、その「気分」をばらまき続ける。選挙の応援演説を買って出たりとかね。

 

 「ちょいとプロ文学をからかってやれ」と、直木三十五は上記の宣言をなしたのだろうが、その「気分」は時代によって容赦なく引きずられていった。

 1月28日に上海事変が起きると、直木は現地に飛んで「上海と戦争」のルポを書いた。(以下、仮名遣い等同上。表記はオリジナルに順ず)

(略)支那は、隣の部屋にいる無知な巨人で、いつ、何をするか判らない。

 日本は、絶えず支那に対して、何かさしていなければ、警戒を、反抗を、攻撃をーー何かしていなければ、直ちに、支那の為に、何かをされるという事になる。

(中略)

 もし、アメリカと戦うなら?ーー私は、アメリカ人の勇武を、十分に知ってはいるが、泣きながらでも、対手(あいて)に噛みつく日本人の争闘性は、絶対に、アメリカ人に負けるものではないと信じている。

 等々。

 直木自身は、欧米の言説に踊らされず、左翼のようにイデオロギーに縛られず、まったく自由に、独立的客観的にものを言っているつもりだっただろう。

 ファシズムの「気分」は、このように人を「自由」にする。

 直木は帰国してからも荒木貞夫陸相と時局について対談したり、作家と軍人の親睦機関「五日会」に参加するなどしている。

 

 今日、1月8日の日付にちなみ、エントリーを書いてみた。

 言っている事は以前書いた『2ちゃんねるはムソリーニの夢を見るか? 』のつづきのようなものなので、あわせて考えてもらえるとありがたい。

 余談だが、直木三十五は『ロボットとベッドの重量』というSF短編を一つ書いている。肩に力の入りすぎた時代物より、こうした軽い読み物の方が、当人には合っていたのではないかと思われる。

 

 

 

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