生産性の向上とは
雇用慣行破り柔軟な働き方を競え 民が拓くニッポン :日本経済新聞
>出生率を上げる取り組みが要るのはもちろんだが、労働力の減少を乗り越えるために十分な備えをしなくてはならない。まず求められるのは、1人あたりの生産性の向上だ。
単純な話をしよう。
30キロ離れた場所に数百キロの荷物を運ぶとする。一人一人が荷物を担いで運ぶより、自動車一台で運んだ方が、より「生産性の向上」になる。
この場合、個人のスキルとして「生産性の向上」に必要なものは、自動車運転のノウハウであり、ジムで体を鍛えて沢山の荷物を抱えられるようにすることではない。
なんでこんな馬鹿みたいな話をわざわざ書いたかというと、これを忘れる(ふりをする)人がちょくちょく現れるからだ。
そうした個々人の「生産性の向上」は、
>成熟産業から成長産業へ人が移りやすい柔軟な労働市場づくりだ。
ということで叶えられることではない。
こうした論がかわされる場では、「労働」は市場において価値の上下する「単位」でしかなく、これからの時代においての「生産性の向上」、新たな技術の開発とそれに伴うスキルアップ、という視点は抜け落ちている。
将来労働人口が減る?まことにけっこう。
ならば少ない労働人口でこれまで以上の生産が可能なように、ロボットの開発を急いだらいいだろう。
それであぶれる人が増えるなら、向上した生産性によって養えばいい。
S.ヴェイユが指摘した通り、労働はどんな美辞麗句で飾ったとしても、それは苦しみでしかない。
そこに誇りを抱き、達成した喜びを感じるのは「仕事」であって、労働ではないのだ。