自衛隊のクーデターはありえないか

 昭和7年、直木三十五が正月に「ファシズム宣言」したその年、五・一五事件が起きた。海軍将校らと大川周明によるクーデターである。犬養首相が暗殺され、気まぐれで相撲観戦に出かけたチャップリンは難を逃れた。

 この事件の肝は、クーデターそのものではなく、その裁判において大川らが「民衆の窮状」を訴えると、助命嘆願運動が起きて数万通もの手紙が寄せられたことである。そのせいで、未曾有のテロにしては判決が軽いものとなり、次の二・二六を誘発した、とされる。実際それ以前に、前年(昭和6年)の三月事件及び十月事件などは、未遂とはいえクーデター発覚についてほとんど処罰らしい処罰がなされておらず、首謀者はこうしたことについて、ほとんど軍をなめていたと思われる。なお、三月事件と十月事件については軍で内々に処理されたため、一般に知られるようになったのは戦後のことである。

 

 さて、大川らが訴えた「民衆の窮状」だが、当時は高橋是清によるリフレ政策(当時はインフレ政策と呼ばれたようだ)が図に当たり、不況に苦しむ世界を尻目に日本はいち早く好況となった、ということになっている。実態は、格差がどんどん広がり、民衆はその生活がいっそう苦しくなって来ていた。実質賃金は低下し続けるも、政府は失業率の改善をもって「成果」と喧伝していた。当時の新聞もそのように書き立てており、民衆のフラストレーションはその出口を失った状態になっていた。農民は米価統制失敗のあおりをうけ、なかでも東北の惨状は抜き差しならぬものがあった。

 そのような状況の元に、クーデター首謀者らが「民衆の窮状」を訴えたがため、俄然反乱者たちの人気は上がった。

 こうした「気分」は二・二六につながっただけでなく、軍隊というものそのものに、「世直し」を期待するかのような雰囲気が生成された。「兵隊さんよありがとう」の「気分」はこうして出来上がったものと思われる。ちなみに、「爆弾三勇士」もこの年にでっち上げられた。

 

 ところで、先日また新年会のようなもので自衛隊の人間に会う機会があったのだが、どうも今自衛隊には妙な空気が流れているらしい。

 確たることは言えないが、建物のどこかでサーモスタットの壊れたホットプレートが付けっぱなしになっているのに、それがどこにあるのかわからない、というような雰囲気であるという。

 これは「集団的自衛権」が閣議決定されてから、徐々に熱を増して来ている、とのことである。

 

 ファシズムの「気分」を生成するには、クーデターが「起こる」ことだけが重要で、その正否は関係ない。そしてその時、民衆は「不条理な」窮状に置かれている、ということが必要とされる。

 「外国と戦争になる」とか、「徴兵制が敷かれる」とか、いろいろと口にされるが、それよりも「自衛隊が世直しに立ち上がる」ほうが可能性が高いように思われる。

 まだまだ経済成長の余地があった時代には、自衛隊のクーデターなど馬鹿げたものでしかなかった。

 しかし、格差が広がり、戦前の経済状況を「トリモロシ」た状況になったなら、それを歓迎する「気分」はたちまちに広がるだろう。

 

 愚か者の杞憂ですめば、それに超したことはないのだが。

 

 

皇帝のいない八月

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