それこそが科学というものだと思うが


3年目の原子力規制委に改めて問う :日本経済新聞

 

 なにやら日経さんは規制委にご不満のご様子だ。

 

>「安全でないとは言っていません。安全だとも言っていません」。田中俊一委員長はしばしばぶっきらぼうな物言いをする。規制委の審査は「安全にお墨付きを与えるものではない」という意味だが、この言い方ではわからない。

 審査を通じ原発の安全性がどれほど向上したのか。足りない点があるとしたらどこか。しっかり国民に伝える必要がある。

 

 「安全だと言え」というわけである。

 それが安全かどうかの判断は、「科学」の外側にある。所謂「文系」のなすところのものだ。マッハが言ったとおり、科学は語らず、ただ記せば良い。規制委についての不満はあるが、安全であるともないとも言わないのは、科学として正しいように思う。そして、こうしたことの繰り返しこそが、原発事故で地に落ちた科学の「信用」を取り戻すものだろう。

 


認知症研究の正常化を急げ :日本経済新聞

 

 昨年末、どうも割り切れなさの残る調査結果がでたようだ。例の割烹着の人とは明暗を分けたが、こちらは世間の注目度が低いせいか、さして問題とはされないようだ。

 この「第三者委員」の方々がどのようなものかはわからない。

 が、「科学者」がメンバーのほとんどであったなら、このような結果になるのも不思議ではない。そこに「悪意」を見いだすのは主に「文系」の役割であり、科学者にとってはそれが捏造だろうが単なるミスだろうが、真実の前には等価のものでしかないからだ。

 泰山は鳴動せず、ネズミも出なかった。が、今後は二度と起こらないことを願いたい。しかし、科学というものへの「不信」は、この件では逆に増すこととなった。

 

 

科学革命の構造

科学革命の構造