本音は「ただで」なのだろう


介護の外国人材受け入れに長期展望を :日本経済新聞

 

 つい最近まで、介護は対価を支払うべき「労働」とはみなされていなかった。

 それは、「美しい」家族愛に基づき、女性(嫁)の献身によってなされるもので、金など払うべきものではなかった。

 

 「美しい」という詐術が利かなくなり、介護が労働として持ち上げられて来ても、できれば「ただで」という社会的な「クセ」は、なかなか是正されないようだ。

 

受け入れ側の責任も重い。介護技術や日本語能力をしっかりと高めるだけの指導体制が伴わなければ、介護保険制度への信頼が揺るぎかねない。日本人の介護職員の処遇に悪影響を及ぼさないようにすることも大前提だ。 

 

 そうしたことより、きちんとした労働の対価を支払うことが大前提のはずだが、そうしてことには触れていない。他でもこの問題について、賃金の支払いに関して述べたものを寡聞にして知らない。

 「日本人の介護職員の処遇」への「悪影響」とは何だろうか。職を奪われるとか、そういうことだろうか。

 そんなことにはなるまい。いろいろと嫌な事態を予測させられるが、あまり良い方に転がるようには思われない。

 日経さんのこの社説に見られるように、介護に高いスキルが必要であることを認めつつ、それをなるべく安く扱おうとするのが、現在の日本の富裕層の共通認識なのだろう。

 東京オリンピックが開催される頃、街々に地獄絵図が展開されていなければ良いが。