粛々と対話を続けよということか
対話の前にするべきことがあるだろう。
沖縄に対する非礼の数々についての「謝罪」である。
そして、現在行なわれている諸々の作業をすべて停止すること。
でなければ「対」話とはいえまい。
日経さんはとにかく「対話を重ねる」ことで「時間を稼ぐ」ことをすれば、粛々と事が進行していって、終いに向うが諦めて折れるだろう、と考えておいでのようだ。
いや、沖縄には「プラス」だろう。唯々諾々とゴリ押しを飲み込むことで得られる、卑屈な満足によって我が身を腐らせるよりはマシだ。
そして、政府以外の日本、その他の地方自治体に対しても。
もはや中央と対峙することなしに、地方は生きていくことができなくなる。
今の沖縄の姿は、明日の地方自治体の姿なのだ。