インフレだとかデフレだとか
「デフレ解消」という掛け声を最近耳にしなくなった。
日銀はインタゲに失敗したが、それを詰る声は少ない。別にあべぴょん政権を擁護しているわけでもなく、「ああ、やっぱりね」という諦めがそこにあるように感じる。
いやそれよりも、消費税の支払いでそれどころではないのかもしれない。
しかし、デフレを解消するための「苦い薬」のようにして、インフレを扱うのはどこかおかしい。毒をもって毒を制しても、毒は毒でしかない。
インフレが引き起こす現象は、ただ物価が騰がるということだけではない。
インフレーションは永遠なものに見えた人間たちの間の差別を廃し、以前には通りであっても会釈を交わすことなどほとんどなかった人々を、同じインフレーション群衆に糾合するのである
エリアス・カネッティ『群衆と権力』からの引用である。
かつてドイツにおいて歴史的なハイパーインフレが起きた時、初めてドイツ国民は一つになった。
ホワイトカラーの組合とブルーカラーの組合が路上で握手し、互いの肩を抱き合った。そのようなことは、これまでのドイツではあり得ないことだったのだ。
それはインフレがもたらした効果だったが、ナチスはそれを己の功績のようにして喧伝し、また大衆もその通りに受け取った。あの地獄のようなインフレのおかげだなどと、認めたくはなかったのだ。
そして、その「効果」はさらなる社会現象へと繋がっていく。
インフレーションによって起こることは、貨幣の価値の下落であると同時に、人間の、国民の、群衆の価値の下落である。
人々はその経験で決して忘れることはない。そして自分自身よりも価値の低いもの、蔑まれた人々か逆に蔑んでやれるようなものを見つけようとする。
かくしてドイツ人は、蔑みの対象として「ユダヤ人」を再発見した。
ハイパーインフレの元でも大儲けした人間は存在し、彼らは毎晩のようにどんちゃん騒ぎを繰り広げた。彼らのほとんどはドイツ人だったが、民衆はそれを無条件で「ユダヤ人」だと思い込んだ。「株の売買」は「ユダヤ人」とイコールで結ばれ、それまで冷静だったものも「ユダヤ人」を非難するようになった、とエルナ・フォン・プスタウは回想する。暴落したマルク紙幣は「ユダヤ人の紙切れ」と呼ばれた。
日銀が異次元緩和をしたとき、ハイパーインフレの恐れを口にする人がいたが、もし起きたとしてもあべぴょんはご満悦だっただろう。むしろ、インフレによって引き起こされる状況こそが、あのバカの望むところだからだ。
インフレもデフレも必要ない。
真に求められているのは「好景気」である。
それを忘れてはならない。
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