トヨタの思い出

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 小学生のころ、名古屋に住んでいた。もう数十年帰っていないが。

 当時すでに名古屋とトヨタはイコールで結ばれる関係にあり、近所ではトヨタ以外の乗用車は日野のトラックくらいしか見かけなかった。

 確か小学五年生のときだったと思うが、トヨタの工場へ社会見学に行った。その時何を見たかはさっぱり印象に残っていないのだが、帰り間際男子生徒全員にトヨタの自動車のプラモデルが配られたのはよく憶えている。男子生徒は全員興奮した。なんたって、当時男の子の趣味と言えば、プラモデルがその王道だったのだ。女子生徒にも何かおもちゃが配られたはずだが、なんだったのかは忘れた。

 トヨタと言えば当時も今もけちなイメージだが、こういうことには金を惜しまなかった。今は子供でも、10年もすれば全員顧客になる可能性が高いのだ。それを考えれば、プラモくらい安いものである。

 現在はここまでしていないだろうが、本質のところは変わっていないはずだ、と自信を持って言える。

 

残る課題は持続可能な成長の実現だ。トヨタの歴史を見ると、会社が大きく飛躍した時期が2回ある。1つは1970年前後の高度成長期で、トヨタが日本のモータリゼーションをけん引した。

 2回目は90年代半ばからリーマン・ショックまでの10年強の時代で、米国を基軸にした事業グローバル化に成功した。

 

 その飛躍の前には苦難がある。一回目の前には倒産の危機があり、三井銀行(当時は帝国銀行)に助けられている。トヨタが一時三井グループだったのはそのせいだ。

 二回目の前にはジャパン・バッシングがあった。トヨタ車をハンマーでたたき壊すための集いが、下院議員の主催で真っ昼間に開かれたりした。

 では、その苦難を糧として、トヨタは大きく変革しただろうか?

 内部にいる人間は「ぜんぜん」と答えるだろう。

 カンバン方式などに見られるように、「乾いた雑巾をしぼる」ことはしたが、ドラスティックな改革などはしなかった。

 トヨタは国際企業となった今でも、その内実は「三河の田舎大名」でしかない。

 

 トヨタの経営に注目する企業は多い。「トヨタが変われば日本が変わる」という意気込みを忘れないでほしい。

 

 トヨタは変わらない。

 まず、日本の方が変わるべきだろう。

 

 

 

AUTOart 1/18 トヨタ スプリンタートレノ (AE86) 頭文字 (イニシャル)D プロジェクトD・Ver.

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