「戦後レジームからの脱却」とは、日本人から「豊か」さをはぎとることなのだ
その昔、いや昔と言うほどでもないが、バブル崩壊以前の日本人はよく働いた。
「働き過ぎだ」と諸外国から非難されるほど働いた。当時の日本人の多くは、働きすぎることの何が悪いのかよくわからなかった。いや、今でもわかっていない人は多い。あの当時の日本を「トリモロス」ためにこんな法律を作るのだから。
あの当時の日本人はなぜあんなにも働いたのか。残業代もつかないのに。実際はそれほどでもなかったのかもしれないが、それでも働くことは美徳である以上に、他に誇りうることであり、いかに自分が安い給料で働いているか、というのは自慢話にすらなった。
保守派の評論家たちはその理由を、それを日本人独自の伝統や文化や歴史や、果ては遺伝子という「血」にまで求めた。
それが今では、そのような「旧人類」は流行らなくなってしまった。
残業を厭い、自由な時間を求め、転職も当たり前になった。
旧人類の価値観によりかかっていた日本経済は早晩失速するだろう、と森嶋通夫は予言した。
このような価値観の転換が起こったことについて、保守派は「西欧的個人主義」が蔓延したせいだとした。
そうしたことも含めての「戦後レジーム」であり、つまりは派遣法の改悪や定額働かせ放題も、「戦後レジームからの脱却」の一環なのである。
それはとても企業にとって都合のいいことなので、日経さんはあべぴょんを「信じている」わけなのだろう。
日本人が働かなくなったわけではない。
日本人が変わったわけではない。
「個人主義」が広まったせいでも、人権意識が高まったせいでもなければ、もちろんサヨクがはりきったせいでもない。
日本人が「豊か」になったからだ。
豊かになったからこそ、貧しかったころの「旧人類」と同じようにはできなくなったのだ。
たとえ父祖が靴磨きから身を起こしたとしても、その子孫が同じように靴磨きなどできないのだ。
これは当たり前のことだが、当たり前すぎて皆が眼を背けている。
だから「戦後レジームからの脱却」とは、日本人から「豊か」さをはぎとることなのだ。
「安保」も、「改憲」も、そのための餌でしかない。
皆が「日本人としての誇り」とやらをトリモロシたとき、1%の裕福な資産家と99%の食うや食わずの貧乏人がそこにあるだろう。