人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 讐は敵なり

 タイトルは武田信玄が言ったとも、後世の創作とも言われている。なんだか往年のプレジデントの戦国武将特集みたいだ。

 とにかく人間こそが要であること。お互いの信頼こそが「味方」であり、互いにいがみ合う競争心めいたものは「敵」だとした。

 高度成長期には、これを書いた色紙を社長室に飾っている人も多かった。

 当時、企業の規模は抱えてる「人数」によって量られ、信用度もそれによって増した。

 「人材」というものに対する認識として、三人寄れば文殊の知恵というか、「半人前でも3人集まれば4人分の働きになる」ということがよく言われた。

 どんなに優秀でも、人間が一人でできることには限りがある。大きなことを成すには、やはり集団の力が必要だ、というのが常識とされた。

 こうした個人より集団を上にする考え方について、保守はそれを肯定し、革新はそれを否定していた。海外のメディアはそれを、「歴史上唯一成功した共産主義」と逆に皮肉った。

 

 それが、おそらくはバブルを境に、逆転した。

 現在すべては個々人の「能力」のみによって量られるようになり、半人前は集めれば集めるほどマイナスになる、というのが常識となっている。

 かつては保守が否定したそれを「保守」が胴間声で肯定し、革新側は格差の否定でかろうじてその存在を示すばかりだ。

 と思われたのだが……

 

www.nikkei.com

 しかし、この社説の例を見ると、「保守」は必ずしも個人の人材を集団より上にしてはいないことがわかる。

 言ってることとやってることに食い違いがあるのは人の常というものだが、「保守」が胴間声で個人の能力を過剰に評価してみせるのは、新たな「階層」を作り上げるための「建前」にすぎないのだ。

 個人の能力は、「階層」を構築するための目安となってこそ、そこに価値が見出されるのである。

 その建前の矛盾が、この社説の最後の一文にまざまざと現れている。

 

 一方で世界の人材市場は争奪戦が激化し、売り手市場の様相を呈しているが、受け入れる側の企業としてはその人が自社にふさわしい人物なのか、最低限のチェックが欠かせない。 

 

 日経さんは書いてておかしいと思わなかったのだろうか。読者の側でも、少しも引っかかる所がなかったなら、一度自分の思考を整理することをお奨めしたい。

 

 

人は城・人は石垣・人は堀―ありのままの政界25年 (1983年)

人は城・人は石垣・人は堀―ありのままの政界25年 (1983年)