「倫理」がインセンティブになるのかどうか

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 冒頭で日経さんはまずこのように本音を述べる。

 

新市場を後押しするのはいいが、過度な干渉は企業のアイデア競争を萎縮させかねない。芽をつまぬよう気をつけたい。 

 

 さらには、このように文句をつける。

 

研究会では国が基準を設け、倫理的と認定した商品だけに認証ラベルを発行する案も出た。そうなれば審査などにコストがかかる。芽生えたばかりの分野で定義を厳密に定めると企業の参入意欲をそぎ、市場が広がらない可能性もある。

 

しかし国や自治体がエシカルを名目に、魅力の乏しい商品や企業を保護すれば、先行きは危うい。保護で成り立つ産業や企業は、長い目でみれば衰退する可能性が高いからだ。これでは結果的に地域の未来にとってマイナスになる。 

 

 はいはい。まあ、言いたいことはわかる。

 要するに日経さんは自由経済に「倫理」なんぞ持ち込むのは反対だ、というわけである。そしてそれは、財界にいらっしゃる方々だけでなく、日々の暮らしに汲々として「倫理」なんぞ考える余裕のない人も同感だろう。

 しかし、アダム・スミスは『道徳感情論』こそが主著であって、『国富論』はそれを支えるブックエンドのような位置づけであり、「見えざる手」は倫理の裏付けがあってこそ、と考えていたのだが。

 

 経済学のいわゆる「インセンティブ」というものに「倫理」の居場所はない。

 もし「倫理」がインセンティブに適うなら、そのように動くというだけのことで、それはもはや倫理ではなくなる。ただの「見せびらかし消費」(ヴェヴレン)だろう。

 消費者庁が何を考えているのか、わからないしわかりたくもないが、これは先行きどうなのだろうか。

 スーパーでは安いアメリカ産のブロッコリーよりも、国産の方が少々高くても売れる。しかしそれが、「福島産」になるとたちまち売れなくなる、という状況が今もあるのだ。

 それについて、ほっかむりをしたままなのだろうか。

 

 似たような懸念についての記事をリンクしておく。

桃を食べながら善意というものの働きについて考えたこと - koshohirakiya 古書比良木屋

 

 

道徳感情論 (講談社学術文庫)

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