アベノミクスの最大の障害は何か
その昔、日本はロシアとの戦争に「勝利」した。この「勝利」は、長い間日本人の心の支えとなった。戦後ですら、司馬遼太郎のおかげで、この戦争こそが日本人のすばらしさを表すものとされた。
しかし、経済的な面からいえば、この戦争は全くの失敗であった。「負けていればもっとひどいことに」と言いつのる輩もいるが、最善は「戦争なんかしない」ことだった。
勝ったとはいえ、賠償金はゼロ。巨額の軍事費を回収する目処は立たず、金を借りた外資への支払いは戦後の80年代まで続いた。
なるほど、このように経済的視点から社会を見る、ということは確かに重要である。
だが、戦前の経済の状況について、経済学者は「そう捨てたものではない」という分析もしていた。
民間部門貯蓄の構成比において、1901〜05年の預金増が17.7%であるのに対し、有価証券増が77.6%に達していた。1906〜10年に至っては、預金増が36.2%、有価証券増が54.6%だった。この結果を持って「第二次大戦前、日本経済は直接金融が間接金融より優位にあり、その点で欧米諸国に引けを取ってはいなかった」とした。
が、しかし、この分析は日露戰争による多額の軍事公債が含まれていることを見落としたものだった。
経済学者は数字を追うあまり、その社会的背景について、ついつい無視しがちである。
すべてが、金銭の流れの中に表されているわけではないし、すべてが、金で解決するわけではない。
さて、アベノミクスについてクルーグマン氏が心変わりした、という記事を見かけた。
まだ詳報を得ていないので判断しづらいが、あり得ない話ではないだろう。
クルーグマンも、それからスティーグリッツも、アベノミクスを賛仰していた。「リベラル」と目されるノーベル賞学者が二人もなびいたことで、少なからぬ「リベラル」がアベノミクスを認めたし、また「日本の左派はなぜアベノミクスを認めないのか」というバカが現れて大声で騒いだ。彼らはリフレ「派」と呼ばれている。
彼らが見落としているものは何か。
それはアベノミクスを運用するのがあべぴょん、いや「安倍晋三」だということだ。
私はリフレそのものについて、反対する考えはない。
経済について「絶対」というものはない、と思うからだ。
ただし、アベノミクスについてはいく度か
と書いた。
財政・金融について絶妙な運転が要求される「リフレ」というものについて、あのバカ男には荷が勝ちすぎると思ったからだ。
経済学者はそうした点について、あきれるほど疎い。
金融政策について、「例えワクチンの効能を信じようが疑おうが、ワクチンを射てばきく」かのように考えている。
実際は、「大型バスを大人が運転するのと3歳児が運転するのではまるで違う」というものである。
今度、参院選に向けて「経済で、結果を出す」とかのたまっているそうだ。
それこそ神風でも吹かない限りありえないだろう。