「要諦」とは諦めが必要ということなのか

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「信なくば立たず」は政治の要諦である。 

 

 もはや現政権においてその「要諦」とやらは、全く意味を持たない。自分に都合の悪いことをドリルで破壊しようが、下着泥棒の過去があろうが、国会で「そのような枝葉末節よりも重要な問題があるはずだ」とわめけば、ネットの信者やマスコミが「そうだそうだ」とはやし立て、支持率は4割を保つことができる。

 ちょっとマズい事態になれば、健康不安説をマスコミにリークすると、身命を賭して政治に携わるポーズに拍手喝采が送られる。

 マスコミ、いや日経さんは、日本という国家をどんどん腐敗させている自覚はあるのだろうか。

 

 首相は「説明責任を果たしてくれるものと確信している」と語った。危機感が不足していないか。 

 

 危機感が不足しているのは、ご自分の方だろう。

 

進退にまで波及するかどうかはその調査結果が出てから考えるべき問題だ。

 

 その認識の甘さ、「公正中立」というやつが、ここに如実に現れている。

 だいたい、なんでこの社説が二番目なのか。「そのような枝葉末節よりも重要な問題があるはずだ」ということなのか。初めに書かれていた社説は、また例の埋め草社説である。

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 ばかばかしくて、いちいちつっこむ気にもなれない内容だ。

 バイトの高校生に社説を書かせるのはいかがなものか、と思う次第である。