そして近代史に大きな汚点が残った
とにかく企業の業績さえ上がればよし、と考えていた人は現在の状況についてどのように思っているのだろう。
多くの企業(主に輸出関連だが)が最高益を出す中、実質賃金は下がり続け、消費支出はがっくり下を向いている。
「雇用は改善している!!」と言い募る人たちもいるが、雇用が改善しているにもかかわらず消費が伸びない、というのはどういう状況なのか想像もできないのだろう。
働けど働けど楽にならないどころか、どんどん苦しくなる。自分の将来や未来というものに全く希望が持てない。こうした状況にあって、「消費」など出来るものだろうか。
「やがて状況が落ち着けば効果が出てくる」というのだろうが、それについては期待薄である。
戦前に高橋是清が「リフレ」をやった時も、似たようなことが起きた。
実質賃金は下がり続けたが、雇用はどんどん改善した。
それにつれて何が起きたかというと、極端な格差の拡大である。それについては是清自身も認めていた。雇用の改善は、格差を拡大しこそすれ、縮小はさせなかった。
是清がリフレを行って数年後、不信任案により選挙が行われた。
この選挙において右派である政友会は惨敗する。何たって、総裁である鈴木喜三郎が落選したくらいだ。
では、是清のリフレは信認を得られたと言えるだろうか?
もし得られたなら、無産党が大躍進することはなかっただろう。
また、鈴木政友会総裁が落選した選挙区において、この時片山哲(当時社会大衆党)が当選している。
当時の新聞はすべて政府や政治向きの事柄について鋭く批判することはなかった。国連脱退の際にも日本の非を書くことなく、満州への軍の「進出」をおおいに称賛していた。現代の産経などよりも、ずっと右よりだったと言える。
それでも選挙においては「右翼亦意外の不振」であり、「ファッショ的風潮への国民反感の表れ」(当時新聞の論評から抜粋)があった。
しかし、この選挙の五日後、2.26事件が起きる。
2.26について、今もあれこれと弁護する人が多いが、これは紛れもなく日本近代史に投げつけられた馬糞である。
東北の困窮を見かねて、などというのは、作りごとの類だ。
この事件によって軍はその重みを増し、選挙に表れた「民意」は、軍による抑圧の対象とされるようになった。翌年には無産党が議会から叩き出された。
歴史は二度目に喜劇として繰り返されるというが、せめて次の選挙くらいは、戦前の大衆よりも自らの置かれた状況について自覚的であってもらいたいものだ。