国民は原発をどのように欲望するか

 今、日本社会の流れは「脱原発・反原発」にあるのか。それとも「原発推進」にあるのか。

 一般の国民が原発についてどのように考えているかといえば、それは「原発を忘れたい」ということである。

 「忘原発」こそが国民の望むところなのだ。

 福島以前、国民のほとんどは原発について何も考えていなかった。原発というものの存在について忘れていたし、国家もそうするように仕向けていた。

 反原発の運動に対する反感とは、せっかく忘れて楽しくやってたのに嫌なことを思い出させるな、であった。

 そして、今もその傾向は続いている。

 

 五年が経ち、自民党は着々と原発を再稼動させ、福島以前と同じようにしようとしている。

 しかし、それはあまりうまくいっていない。

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 避難計画なぞ「継続的に改善」していたら、「せっかく忘れて楽しくやってたのに嫌なことを思い出させるな」という反発に出会うだろう。原発運動がぶつかったのと同じように。

 「忘原発」を望む人たちにとっては、忘れることさえできれば原発などあってもなくてもどっちでもいいのだ。

 

 そこで、「都合のいい忘却」のために歴史修正が行われている。

 すべての責任を菅直人に押し付け、「原発は実は安全だ」という喧伝がそれだ。

 しかしそれを信じる人ですら、以前のようには「忘原発」できていない。

 もはやどんなにしても「忘原発」を叶えることは無理であり、このまま推進するなら、日本の社会に大きな「ゆがみ」を残すことになるだろう。