日本はシンガポールになれるか?
日本国内の新自由主義者、市場原理主義者たちはシンガポールという国が大好きだ。
実際、富裕層の海外への移住先としても人気だという。
商業のみによって国家が成立し、自由経済礼賛者が嫌悪する「福祉」というものが存在しないからだ。
「日本もシンガポールを見習うべきだ」と彼らは口をそろえる。
だがしかし、日本がシンガポールを見習う日は永遠にこないだろう。
なぜなら、シンガポールは食事が美味しくないからだ。
その点において、有名なイギリスを上回っている。(そういえば元イギリス領だったか)
スイスなども不味い上に高いのだが、それでもシンガポールよりはマシに思える。
それは高級とされるレストランでも同様である。
まあ、こうしたことは「個人の感想」というやつな訳だが、テレビでは毎日のようにグルメ番組を垂れ流し、漫画雑誌には必ず食べ物漫画が掲載され、どこそこのラーメン屋が美味いと聞けば長蛇の列を形成する、そんな我が国民が「シンガポールを見習う」ことに耐えられるとは、到底思われないのだ。
シンガポールの飯が不味いのは、シンガポールに農業が存在せず、水すらも100%輸入に頼っている、ということに由来している。
シンガポールと日本とでは国土の有りようが違うとはいえ、農業を「自由化」すればまず「味」が犠牲になることは避けられないだろう。
日経さんのいう「成長力」とは、規模を拡大させて利益を増大させていくことである。そのためなら、少々飯が不味くなろうが、そんなことは二の次三の次なのだ。
極端な話、日本において農「業」は無く、農「家」だけが存在している。
その一つ一つの「家」が協調することで、日本の食味を支えているのだ。
日経さんは「競争」によって農「家」をふるいにかけ、経済的な農「業」を作り出したいのだろうが、それは今やミシュランの星の数を本家フランス以上に有する日本の食を破壊し、和食から世界遺産の名が剥奪される事態をもたらすことになるだろう。