どんどん「自由」になってゆくアメリカ
「自由」というものの定義はいろいろある。自由の国を称するアメリカであれば、それはさらに多様だ。
その中の一つにこういうものがある。
「とある集会において、誰も銃を持たない中に一人だけ銃を持った男がいるとする。その場で一番自由なのは、銃を持った男である」
なんだか一瞬ジョークのように聞こえるほどプリミティブな考えだが、これそのものでなくとも、これと通底する考えを持つアメリカ人は少なくない。
だからこそNRAは最強の圧力団体であり、米憲法修正第2条は日本の9条以上にファナティックに支持され、乱射事件は節分のような年中行事となり、さらに乱射犯の家族の元へは電話でたくさんの「慰め」の言葉が届けられるのだ。
「アメリカ第一」というトランプは、そうしたアメリカの「自由」について、非常に忠実なのだと言える。
そんな「自由」を愛するトランプであれば、TPPを離脱するのは当然だっただろう。
アメリカは一切譲歩することなく、相手の譲歩だけをひきだすことこそが、トランプの「自由」だからだ。
経済のグローバル化が進んだ現在、国境を越えた複雑な供給網がつくられている。2国間交渉を重んじるのは世界経済の現実を直視しない視野の狭い発想だ。
米政権は日本にも2国間の自由貿易協定(FTA)交渉を求めてくる可能性がある。米国との2国間交渉の是非についても11カ国で対応をすりあわせてほしい。
どうやらこれが日経さんのいう「果実」らしい。
11カ国で対応するなんてことをすれば、よけいにトランプの逆鱗に触れるだけだ。また、他の国々も迷惑を感じ、協力を惜しんでやまないことだろう。というか、期待する方が無理である。
日本が米国との2国間FTAを最初から拒む必要はない。ただ交渉に入れば、米国は農産品を対象にTPPの水準を上回る関税撤廃を求める公算が大きい。
求められてくるのがFTAという、相互に関税を撤廃するものであろうというのは、楽観にすぎるのではないか。
米国の関税は引き上げ、日本の関税は引き下げる、下げる余地がなければ他の方策で補うようにする、そのくらいのことが求められてもおかしくない。そうすることこそが「アメリカ第一」の「自由」だからだ。