何であんなのを尊敬できるのか?という素朴な疑問
「まー、なんか世間も騒がしいし、ずっと無視してるのも不自然だからちょっと書いとくか」という社説である。
事件について大枠で触れているだけで、あべぴょんとの関わりはアッキーについて「苦言を呈する」に留めている。
数々の状況証拠があべぴょん自身の関与を指し示しているが、決定的なものがない限り総理に居座り続ける腹だろう。また、検察もとりあえず動く気配がない。
籠池とやらがYouTubeで喋くっていたが、政治家の具体的な名前は出していなかった。あれは自民党への脅迫だろう。ちゃんと自分のことをケアしないと、なんでもしゃべっちゃうぞというわけだ。
参考人招致しても、籠池が「あべさんとは一度も会ったことがありません」と言い出す可能性もなくはない。自民党と籠池との間に何らかの取引が成立すれば、あの手の男は平気で嘘をつくからだ。籠池は今、自分の「値段」を釣り上げている真っ最中なのだろう。
「さっさとあのバカに何億か掴ませて参考人招致を済ませてしまえ」と日経さんがサジェスチョンしている、などと邪推の一つもしてみたくなる。
さて、話変わって、常々不思議に思っていることを少し。
前世紀後半ごろからの現象だと思うが、さっぱりカリスマ性のない、胡散臭いどころかまるっきりインチキとしか思えない、人間的にも器が矮小な連中が、信仰をあつめ、尊敬を受け、大きな社会的な動きをなしている。
要するにオウム真理教だとか幸福の科学だとかだが、なんであの教祖を信じ、崇め、命までかけようとするのか、さっぱりわからない。比較するのもなんだが、まだ池田大作の方が理解できる。
それと同じ現象はあべぴょんにもあって、政治家としてのオーラを全く欠いている男のことを、なぜ「救国の英雄」のように讃えることができるのか。
「あべ首相がんばれ」の映像を見て生理的に嫌悪感を覚えた人は多いと思うが、あべぴょん信者たちは「当然のこと」「何が悪いのか」「たいした問題ではない」という態度である。
あの男の知性、弁舌、行動、どれを取っても何一つ「魅力」というものがない。なのになぜ尊敬されているのか。その点では石原慎太郎の方がまだ理解の範疇にある。
本当に不思議で不思議で仕方がない。