会社から「ぬらりひょん」を退治するには

 日本の会社には、たいてい一人「ぬらりひょん」がいる。

 週2、3回昼頃に出社して、新聞を読んでお茶を飲んで、日が落ちる前には帰ってしまう。他の社員がどんなに忙しそうにしていようと意に介さない。それでいて、普通の社員数人分の給料をせしめていたりする。

 「ぬらりひょん」がどういう時に役に立つかというと、トラブルが起きて「上」に迷惑がかかった時とか、「上」から無理難題をふっかけられてそれをなだめてもらう時とかである。

 「上」とは親会社だったり、お役所だったり、とにかくその会社が頭を下げねばならない対象のことだ。

 この「ぬらりひょん」が、俗にいう「天下り」である。

 

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現状では適任の候補者が不足しているとの指摘が多く、一部の学者やコンサルタントが多くの会社の取締役をかけ持ちしている。経営の知見があるかどうか疑わしい人物が取締役会に加わっている事例も散見される。

 

 日経さんはこのあいだの文科省天下りについて、今さらながら、すごく遠回しな物言いで、なにやら言おうとしているようである。ただし、一度読んだくらいではわかりづらく、お役所からクレームがつかないように。なんか落語にあったな、こういうの。

 社外取締役などと言いながら、そこが天下りの温床になっていることは、先般の文科省のゴタゴタで明らかになった。

 じゃあ、官庁出身者を社外取締役にしなければそれで済むのだろうか。

 

 投資家の声に耳を傾けると、上場企業の経営にたずさわった人材がもっと社外に出るべきだ、との指摘が多い。日本では経営の一線から退いても顧問や相談役として経営に影響力を持つことがある。経営陣がOBの助言を仰ぐのもよいが、優れた経営の知見を1社で囲い込むのでなく、幅広く生かす術を考えたい。 

 

 なんだかお上品なことを書いているが、こういう場合でも大体は「大企業」から「中小企業」へとの「天下り」になっているのが常態である。

 日経さんが理想とするような、企業統治に資する形には程遠い。

 企業が社外取締役という「ぬらりひょん」に求めているのは、近代的統治ではなく、前近代的な妖怪の神通力なのだ。

 具体的には、「上」に顔がきくとか、力を持つ人となあなあで会話できるとかいう、その手のものである。

 これらは「統治」を改革するどころか、むしろ阻害し、退化させる原因となる。

 

 「ぬらりひょん」は社会の同質性、いわばホモ・ソーシャルから生まれ出てくる妖怪である。

 ならば退治する対策としては、社外取締役

 

日本国籍を有するものを採用しない

・女性のみを採用する

 

 などが考えられるだろう。

 ただ優等生の作文で、出来もしないことを掛け声するだけなら、紙幅の無駄なのでやめてもらいたいものだ。

 

 

vs ぬらりひょん

vs ぬらりひょん