妄想と現実の区別がつかない自民党のお姫様
まず、森友の件について思うところを少し。
まったく予断を許さぬ展開で、あれよあれよと言う間に事態は意外な方向に展開しつつある。
しかし、籠池=菅野ラインにばかり「居着いて」しまうのは、やはり危うさを感じる。
家系、じゃなくて、加計 (かけ)学園のほうも押さえてもらいたいものだ。まあ、エンタメ的には籠池のほうが上だから、当面は仕方ないのだろうが。
それと、検察が動かないことについては、例の事件以降まったく信頼していないので、それはそれでかまわない。現政権を支援する方向でしか動かない、ということであれば、動くタイミングはまさに「今」なわけなので、どうかそのままじっとしててくれ、とすら思う。
さて、日経さんが稲田についてあれこれと言ってるわけだが。
日経さんが森友の一件についてあまり触れたがらないのは、第3会議室で夜な夜な「あべしゅしょうがんばれあべしゅしょうがんばれ」という呪文を唱えながら、ぱんいちで肩組んで輪をかいて踊っているから、というだけではなく、確実に財務省にからんでくるからだろう。
稲田については、財務省とまったく関わらないので、つっついてもかまわないというわけだ。
しかし、日経さんの「管理」能力というものいいには、やや引っ掛かりを感じる。
自衛隊の何をどう「管理」するのか。
稲田が、いや自民党全体が、自衛隊の「戦闘」について親和的である以上、「管理」などできるわけがない。
先日のエントリーで、
現実に存在する「軍人」は、卑怯で卑劣でケチで小心、かてて加えて常習的な嘘つきである。
と書いた。
そして、それを隠蔽するのは「兵隊さんよありがとう」的な心情であり、その心情はまったくの妄想でしかない。
だが、その「妄想」を現実的だとし、その「妄想」に従わないものを排除するのが自民党という政党なのだ。
その自民党のお姫様が稲田なわけだから、その周囲の人間がまともなわけがない。
これは稲田一人の問題ではなく、自民党全体がかかえる宿痾といえる。
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