経済を忘れた日経さんは歌を忘れたカナリヤよりも価値がない
画期的だと騒ぎになっているが、6年経ってやっとまともな判決が出たな、と考えるのがごく普通の感覚だろう。とはいえ、まだまだ先があるのだろうが。
そして、この判決における重要な点について、日経さんは社説で触れないように気を使っている。
従来の司法判断の流れからみれば大きく踏み込んでおり、唐突な印象も否めない。だが、つねに万一の事態を想定し、安全を確保するための備えを尽くすべきだとする裁判所の考えが明確に示されたことの意味は、重い。
津波が来ることは想定の範囲であったにもかかわらず、東電の「経済的合理性」を優先したことが問題なのだ。
原発の「安全神話」を犠牲にすることで、もう一つの神話である「格安神話」を守るためである。
その背景には、経済を最優先することで、その他の重要な事柄をすべて後回しにする「思想」がある。
2002年に巨大地震発生の可能性を示す長期評価が出され、国と東電は津波が来ると想定できた。それを受け国は東電に対策を命じる権限があったのに、怠った。判決はそう結論づけた。
2002年といえば、あの政権である。
日経さんは、「あの政権」と思想を共有していた。そして、それは今もそのままだ。
もはや、原発の「安全性」は「経済的」であるとはいえない。それは東芝の例にまざまざと現れている。日経さんが「安全性」ばかりを云々することで、経済性について触れないのは、日本「経済」新聞の名にもとる行いではないのか。
それから、言わでもの事かもしれないが、今はぬけぬけと「反原発」を口にする、「あの政権」の長についてもう一度評価し直す必要があるだろう。インタビューしたって、どうせ反省なんかしやしないだろうし。