支持率支持率と気にしすぎるのはポピュリズムの罠ではないのか?

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 なんというか、「プーチンくんのおうちに行ってなかよく遊んだよ!」というだけだった。一生懸命成果があったように喧伝しているが、ゼロどころかマイナスに終わった、というのが実際のところだろう。

 

個人的な関係づくりという意味では十分なほど会談を重ねてきたが、日ロ間の信頼醸成になかなか結びつかないのはもどかしい。 

 

 「信頼」ねえ。何度会っておしゃべりをしようが、ウラジミールとファーストネームで呼ぼうが、そんなものはまったくの無駄だろう。保守系の評論家センセイ方がよくおっしゃっていたではないか。「リアルな国際外交において、信頼など糞の役にも立たぬ」と。「保守」のあべぴょんがプーチンとの「信頼」によって外交をなそうとしている、ということは、あべぴょんには持ち札が何もないと言ってるようなものだ。

 まあ、外交でかっこよく海外の首脳と会談する様子を見せ、国内の「支持率」を上げるのだけが目的なら、その点についてだけ「成果」はあったと言えるのかもしれないが。

 

 ところで、この「支持率」というやつ、あんまり気にするのはポピュリズムを亢進させるだけではないか、と最近考えるようになった。

 だいたい、以前はこんなに支持率が持ち上げられることは少なかったように思う。確かに話題にはなっていたが、全てに優先するような重要事項としてではなかった。

 あまりにも支持率支持率と気にしすぎるのは、ポピュリズムの罠にかかっているようなものではないか。

 あべぴょんも「ぼくちんの支持率は高い」と二言目には口にしているようだが、だからと言ってさっぱり下がらない支持率について苛立つようでは、あべぴょんの思惑にはまっているようなものだ。

 たとえ支持率が高くとも、ダメなものはダメ、悪いものは悪いと指弾できるようでなければ、社会にはどんどんポピュリズムの毒が回ってしまうだろう。

 支持率さえ高ければ何で許される、などというのは、それこそまさしくポピュリズムなのだから。

 

 これから先、あべぴょんの支持率狙いを批判することはあっても、自分自身はあまり支持率について気にしすぎないようにしていこうと思う。