印象操作(笑)とポピュリズムと
今まで机に向かってパソコンでエロサイトばかり見つつ、さも勉強しているかのような「印象」を振りまいていたお子様が、テストの当日になって逃げ出したかのような「印象」になっている。
土砂災害でも帰国せず、「テスト」が終わってからのこのこ帰ってくるという、最悪の「印象」となっているわけだが、こういうのもあべぴょんにとっては「印象操作」なのだろう。
拉致問題についても北方領土についても最悪の結果をもたらしながら、メディアによる「印象操作」のおかげでこの政権は今までながらえてきた。
その大切な「印象」に自ら泥をぶっかけてしまっているのだが、ご本尊はまったく自覚できていないだろう。
あべぴょんが気にする「印象」とは、すなわち「支持率」である。
支持率さえ高ければ、何をしても許されるように振舞ってきたので、それが下がってくると非常にまずいわけだ。自業自得というわけだが、問題はそれだけではない。
これはあべぴょん政権以前からの傾向だと思うが、とにかく政権の「支持率」をもって第一の尺度とするという、マスメディアやそれに関わる有象無象の論調によって、その前提としてある「議論」、すなわち民主主義の根幹がないがしろにされているのではないか。
支持率支持率と騒ぐことで、「じゃあ支持率さえ高けりゃいいんだろう」というお子様政権が出来上がり、さらには議席さえあればいいんだろうと強行採決を連発するようになった。
支持率第一の考え方と強行採決とは、一直線に結ばれている。
以前は、政権がなしえたことが第一にあり、その結果としての支持率というものがわかりやすい目安として語られていた。
それがいつの間にやら(たぶん、小泉あたり?)支持率こそが第一のように語られる仕儀となり、それがこのお子様政権を「一強」にしてしまったのだ。
ついでに、アベノミクス(笑)とやらで、やたら株価を吊り上げているのも、同様の思考によるのだろう。株価さえ上がっていれば、「景気は良くなっている!!」と強弁してしまえるわけである。
ついでに失業率の低下も同じようなもので、賃金が上がってこそ成果と言えるはずが、「失業してるよりマシだろう」という上から目線で思考停止している。
これらのような「数字さえあればその背景について思考しなくても良い」という風潮は、ポピュリズムと呼べないだろうか?
私はそのように考えたので、中途から支持率について気にするのをやめることにした。
現在支持率が降下していることについて、今まで自分の支持率の高さばかりを誇っていたあべぴょんはしかたないが、これからは数字の背景を前景にもってくるようにしてもらいたいものだ。
勉強してとった100点も、カンニングしてとった100点も、100点は100点にちがいない、というのでは、社会はとどまることなく腐敗していくことだろう。