人権はなぜ嫌われる

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今こそ日本を含めた世界の民主国家が一丸となって中国の人権状況に警鐘を鳴らす時だろう。 

 

 警鐘を鳴らすだけ? そのあとは?

 中国ほーいもーがどうたらぬかすより、中国の人権活動家を支援するくらいしたら? それで少々中国との関係が悪くなろうと、望むところなんでしょ?

 と皮肉の一つも言いたくなるのが日本の現状である。

 なんせ政権与党が人権を嫌悪してやまないのだから。

 なぜそんなに人権が嫌いなのか。

 

 人権というのが嫌われる要素の大きなものとして、自分が憎悪する人間であっても、存在をきちんと認めなくてはならない、ということがある。

 「汝の敵を愛せよ」(マタイ福音書)である。

 そうするとすぐ「キリスト教由来の思想だ、日本には馴染まない」と騒ぐ人がいるが、日本にだって同様の思想はある。

 「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(歎異抄)だ。ついでに、バガヴァット・ギーターにも似たような云為がある。ガンジーはそれを愛読していた。

 そこにあるのは、愛というよりも、憎悪の排除である。

 憎悪をすることはたやすく、また同一の対象に振り向けることでやすやすと「連帯」しうる。

 孤独にさいなまれる人にとって、憎悪は甘やかなドラッグだ。

 意に染まぬものを憎悪することは人間の本性である、というのが「保守」の方々の論の根っこにある。それならば、ドラッグに溺れることもまた人間の本性と言えるだろう。

 

 ある種のドラッグを服用すると、宇宙と一体化したように錯覚できるという。

 憎悪によってもまた、人は他の人々と連帯しうるように感じられる。

 憎悪によって他の人々との連帯を得ていた人間にとって、人権はせっかくつかんだ連帯感を消し去り、自分を再度地獄のような孤独へと突き落とすもののように思えるのだろう。

 憎悪というドラッグをバラまいて多大な利益を得るものにとって、阻害薬のように憎悪ドラッグの機能を制限する人権が嫌悪される、ということは簡単に理解できることと思う。

 権力を持つものにとって、民衆が人権によって個々にあるよりは、憎悪によって連帯していてくれた方がやりやすいのだ。

 

 こと人権を嫌うことに関しては、中国共産党も日本の自民党も同レベルである。いや、特定秘密だの共謀罪だの強行採決したこちらの方が、本質においてやや上回っているかもしれない。

 人権問題について日本が国際的に発信していくことは大いに賛成だ。

 そうすれば、国内の人権問題からも目をそらすことができなくなり、共謀罪を沖縄の活動家に振り向けるなどということも阻害されることだろう。

 

 

聖書と歎異抄

聖書と歎異抄

 

 

 自民党が人権を嫌う最新サンプルとしてメモ↓

 

 

 二重国籍=スパイだそうで。

 

 追記として劉暁波氏の言葉を

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うらみは、個人の知恵や良識をむしばみ、敵対意識は民族の精神を堕落させ、生きるか死ぬかの残酷な争いを煽りたて、社会の寛容性や人間性を壊し、1つの国家が自由で民主的なものへと向かうことを阻むものだ。だからこそ、私は、個人的な境遇を超越し、国家の発展や社会の変化に目を向けたい。そして、最大の善意をもって、政権の敵意と向き合い、愛をもって憎しみをやわらげたいと願っている。