どっちも問題は同じだということ
この二つは、どちらも同じ問題と通底している。
如何に日本の原発のダメさ加減を「隠蔽」するか、という問題である。
そして、日経さんはその隠蔽作業において、大きな役割を果たしてきた。
東芝のダメさ加減については、昨今ようやっと周知されることとなったが、その原因が「原発」にあることは、あまり触れられることがないようだ。たとえ触れられても、アメリカのダメ原発会社をつかまされた、ということばかりで、東芝がどうしてそんな事態に陥ったのかという「そもそも」の部分には口が閉ざされている。
「そもそも」東芝の原発事業が、順風満帆の全く反対だったことが要因なのだ。
柏崎刈羽は、東北の震災以前の中越の大地震によって、かなりの損傷を受けていたが、それをずっと隠蔽していた。事故当時、自民党政権はマスコミを「アンダーコントロール」することに腐心していた。原発から白煙が上がってもそれを知らさないようにしていたし、IAEAの査察すら当初は拒絶していたくらいだ。これらは海外のマスコミが報道することによって、明らかとなっていった。
「そもそも」フクシマ(あえてカタカナで書くことにする)以前に、中越地震による事故によって原発の脆弱性が明らかになっていたにもかかわらず、それを隠蔽するために、「安全安全」と叫ぶだけで実際の対策を怠ったのだ。
「隠す」ということは日本人の「クセ」である、と江戸時代に富永仲基が指摘している。
さらにそこから発生する問題は、隠すことによってそれが何かとても「いいもの」であるかのように考えられ、しまいには隠した本人までそれを崇め奉り始めてしまう、ということだろう。
日経さんが、「経済」新聞であるにもかかわらず、経済的にさっぱりな原発を崇め奉るのは、自らその「隠蔽」において中心的な役割を果たしてきたからではないのか。
隠蔽的光景:唐代的婦女文化与家庭生活(中国語) (理解中国)
- 作者: 陳弱水,隋唐五代的婦女与本家/初唐政治中的女性意識など論文5篇を収録。附:台湾学界の唐宋女性史研究の傾向と課題。索引(テーマ、人名)。
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