日本の伝統を切除したい日経さん
日本の労働者の質は高い、とつとに口にされる。
昨今の日本万歳翼賛テレビ番組ならずとも、それは幅広く共有された認識である。
例えば、簡単な水道工事など、海外(実体験としてはアメリカ)では待たされた上にひどい手抜きがなされたりするが、日本ではきちんと期日に工事されて、一週間後にまた別のところが壊れる、などということは少なくとも起こることはない。そして、それが「普通」のこととされる。
その質の良さはどこから来るか、というと、右がかった人たちは「日本人であれば当然」などと喚いて思考を停止させて満足する。
よく手本として取り上げられるのは「職人」についてだが、その仕事の秘訣は、高度な「技」ではなく、むしろ継続される「労働」の本質にある。
日本人の仕事の質の高さは、「日本人」などというナルシスティックな民族意識ではなく、見栄えのする「技」を支える地道な「労働」によるものであり、世代を超えて引き継がれ、蓄積された「コツ」によってもたらされるものだ、と考えられる。
そうした「コツ」はごく普通の一般企業においても用いられ、世代を超えて蓄積された地道な「知」によって、日本人の労働者の質の高さが保たれてきた。
それが、無意識に共有される、日本の労働の「伝統」である。
しかし、こうした「質の高さ」は、日本の経済を「構造改革」して「自由化」したい、日経さんに代表されるような人たちにとっては邪魔なものだ。
なぜなら、そうした組織に蓄積される「知」という、「伝統」に頼る労働者の在り方は、「労働者の流動性を高める」ことを阻害するからである。
で、ここで製造業の品質不正問題が陸続として現れてきた。
実はこの問題は、前半で述べた「日本人労働者の質の高さ」と同じ原因を持っている。
というのは、組織に蓄積される「知」とは、要領よく働くことであり、その中には「手を抜く」ことや「サボる」ことも含まれているからだ。
つまり、こうした不正を叩き、「根こそぎ」にすることは、日本の労働者の「伝統」を廃棄し、その質を低めることになる恐れがある。しかしそれは、日経さん念願の「労働者の流動性を高める」ことに繋がるのだ。
なんだか陰謀論めいてしまったが、不正を正すことについては反対しづらいので、ついでにそれを「根こそぎ」にすることについても反対できなくなりはしまいか。
昨今、日本人の労働者の生産性の低さがあげつらわれてるのも、同じ流れのように思う。
「ごく一部の富裕層と数多の貧困層」という社会を作るためには、労働者は従順かつ愚者である必要がある。
不正を正すなら、ブラックジャックのような正確無比のメスさばきで、「不正」の部分のみを切除してもらいたいものだ。
「ついでだから、ロボトミーの手術もしましょう」と言い出しかねない、そんな今日の日経さんなのである。