変えればいいってもんじゃない、というお手本

 結構サボってしまった。言い訳は趣味ではないので、粛々と再開する。

www.nikkei.com

 何やらお隣ではいつの間にやら独裁体制が着々と進行しているようだ。

 詳細が見えてこないので批判しづらくはあるが、憲法に個人の名を入れるとか、一昔前の入学祝いの万年筆じゃあるまいし、馬鹿な真似はやめて欲しいものだ。こっちの「上」にいる「大馬鹿」が真似したがったらどうするんだ。新年号に「安」の字を入れやしないかとヒヤヒヤしてるってのに。

 

 中国に物申したいのことは多々あるが、とりあえずこの「改憲」について、現時点で分かっている範囲で懸念すべきなのは、憲法に個人の名を記すことによって、その個人の意思を憲法よりも上に位置させてしまうのかどうか、である。

 昨今の日本の改憲論議で、憲法とは本来権力者を縛るためのものであり、国民を統率するものではない、ということが言われている。

 もし今回の中国の改憲で、習近平個人の意思が憲法よりも重きとされるなら、この一点においてだけでも、それは「改正」ではなく「改悪」であると言わざるを得ない。

 

 同様の問題について自国の状況を振り返るなら、まさに憲法を「改悪」せんとする集団が権力を握っており、それは全く他人事とは思われない。

 さらに悪いことに、こちらは共産主義というイデオロギーすら持たず、ただの「気分」または「空気」によってそれがなされようとしているのだ。

www.buzzfeed.com

 上掲のような中国の状況は、「共謀罪」がまっすぐに指し示すベクトルの先にある。

 「共謀罪」を万雷の拍手をもって迎えた我々は、中国と大して差異のない相似形の政権を上に頂いている、ということを自覚するべきだろう。