クーデターに成功したオウムとしての「自民党」

 ちょいと前に、壊れた拡声器のような財務大臣が「新聞を読まない若者は自民支持」とのたまっていた。

 

麻生氏「新聞読まぬ世代は自民」 昨秋の衆院選に関し - 共同通信

 

 新聞などというオールドメディアをあがめる「情弱」どもと違って、若者たちはインターネットから正しい情報を得て、正しい選択として自民党を支持するのだ、とでも言いたいのだろう。自民党支持者たちも、そのように受け取ったはずだ。

 

 その「新聞読まぬ世代」の代表と思しき存在に、植松聖というのがいる。

 植松は、ほぼ無抵抗の障害者19名を殺害した。

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 そして、自民党を、なかでも「安倍晋三」を崇拝していた。植松は犯行の前に、以下のような内容を含む手紙を書いている。

 

>ご決断頂ければいつでも作戦を実行致します。

>日本国と世界平和のために、何卒よろしくお願い致します。

>想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが、安倍晋三にご相談頂けることを切に願っております。

 

 「カルト」というのは、解消しづらいストレスを抱えた人間が、かりそめのストレス解消を求めてひきずり込まれる。

 そうした場合、カルトは外界の情報をできるだけ遮断する。

 外の情報はせっかくの「ストレス解消」を邪魔するからだ。

 なかでも「新聞」などは、真っ先に否定される。

 インターネットが完備した現代においては、信者たちが勝手に自分に都合の良い情報を求めて「自己洗脳」してくれるので、とてもやりやすいだろう。

 崇拝する対象が政権与党であれば、それはなおさら悪化する。

 明確な指示などなくとも、勝手にその「教え」に従い、弱者を殺戮して恥じぬようになる。植松は今も、あべぴょんから救いの手がもたらされるのを、じっと待っていることだろう。

 

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 かつてクーデターを起こそうとしたカルト集団があり、その主な面々が死刑となった。

 日経さんは通り一遍の無難な社説を書いたつもりだろうが、現在の自民党の持つ危うさが、そこここに現れている。

 それは日経さんがあべぴょんを「信じている」ことの危うさが、自然と漏出してしまった結果なのだろう。

 

バブル経済とその崩壊や急速に進む国際化の中で、それまでの価値観や人生のモデルが揺らぎ、教団が唯一のよりどころに見えたのかもしれない。だが教団は国家の転覆を目指し暴走する。 

 

 日経さんにとって、唯一のよりどころのあべぴょんは、近代国家としての日本を転覆させ、大日本帝国をトリモロさんと暴走している。

 

「オウム」が終わっていないことは、教団の後を継ぐ団体に、いまも新たな信者が入信していることが証明している。街角や大学やインターネットの世界から、若者を狙うカルト的な集団が姿を消したわけでもない。 

 

 新聞を読まない「若者」から「カルト的に」支持されるのが、現在の自民党である。

 

 「孤立感」「現状への不満」「極端、過激な思想の流布」といった、若者たちをオウムの闇に落とし込んだ状況はむしろ強まっている。

 

 強まっているからこそ、オウムの闇に似たものを若者たちは求め、その対象が現政権となっている。

 

松本元代表らの死刑執行を受け、社会のありようを改めて見つめ直していきたい。

 

 以前にも少し書いたが、私は死刑に対して限定的に賛成している。

 

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さて、実は私は死刑を否定してはいない。

 ただ、死刑という刑罰に値するのは権力者のみ、と考えているだけである。もっと言うなら、国家の最高責任者こそがそれに値する。

 

 麻原彰晃こと松本智津夫は、クーデターの首謀者であり、教団において明白な「権力者」である。

 権力者というものは、自分の手を汚さずに殺人を実行することができる。

 私はそうした人間に対しては死刑という刑罰が相当である、と考える。

 ゆえに、オウムの事件においては、麻原のみ死刑にするのが良い、という立場をとる。

 そしてもちろん、その考えは現在の政治家たちにも当てはまる。

 

面白いのは、死刑を肯定する愛国者にこの考えを披瀝すると、とたんに死刑否定論めいたことを口にし出すいうことだ。愛国者が愛しているのは、「国」ではなく「権力(者)」だということがよくわかる。 

 

 オウムの死刑にカタルシスよりも薄暗いものが感じられるのは、そこに生々しい「権力」はらわたの臭いを嗅ぎとれるからだろう。