朝鮮戦争が終れば、「集団的自衛権」も自衛隊も無用の長物となる

 朝鮮戦争が始まった時、GHQのいわゆるポツダム政令によって警察予備隊が組織され、それが今の自衛隊となった。

 その朝鮮戦争が、終るかもしれないという。

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 追い詰められたトランプの、起死回生の一発として「米朝会談」は行われた。

 日本国内の「保守」の面々は悲鳴にも近いような論評をあげ、「大したことはない」と冷汗三斗で結論づけている。

 それはそうだろう、日本の「保守」は冷戦の中から生まれたのであり、その冷戦の最後の砦である朝鮮戦争終結することは、自らのよって立つ地盤が液状化しかねないからだ。

 そしてそれは、自衛隊も同じである。

 

 カストロと握手し、イランと和解したオバマは、北朝鮮に対して意固地なまでに視線を向けなかった。

 それに対して北朝鮮は、思春期の悪ガキのような態度で挑発し続けた。

 挑発に対応するため、オバマはあべぴょん政権を大目に見たし、さらには「集団的自衛権」をせっついたのだ。

 もし北朝鮮との間に一朝事あるとして、その時自衛隊を国境の「外」で戦闘させられなければ、米軍に無用な損害が広がるのは必定だからだ。

 しかし、もはやその心配はかなり遠ざかってしまった。

 「集団的自衛権」は無用の長物となりつつある。

 そして、朝鮮戦争が終るなら、自衛隊もまたそうなる。

 

 今次西日本の水害でよくわかったことは、自衛隊は災害に対する即応性に欠ける、ということである。

 あべぴょんが自民亭で飲みすぎたのが悪い、ということもあるかもしれないが、根本的には自衛隊が「軍隊」であり、シビリアン・コントロールを必要とされることに原因がある。

 ならば、自衛隊を軍隊でなくしてしまえばいい。

 軍備のない「災害救助隊」であれば、首相の指示など待たずに現場の判断でどんどん活動できるだろう。

 現に警察や消防隊はそうしているのだ。

 将来的に、陸上自衛隊は災害救助隊に再編し、国境の警備は海上保安庁に一任して海自も空自もその下に組み込んでしまうことになるだろう。

 

日米韓が協調して北朝鮮に核とミサイルの廃棄を促しながら終戦宣言の環境を整えていく、という本筋を貫くうえで、日本が果たすべき役割は重い。 

 

 日本の果たすべき役割は、もはや日本に「役割」などないことを認識することだ。