きっとそれは「強制連行」ではないということなのだろう

 「強制連行」という言葉を眼にして思い出した話をひとつ。

 

 若い頃、関東軍の元軍曹という人の下で働いたことがある。「オレは満州を一万キロ歩いたんだ!」というセリフを、三日に一度は口にする人だった。

 その人がお客にこんな話をしていた。

 

 満州の道無き道を延々と歩いていると、ここがどこでどっちに歩いたらいいのやらわからなくなったことがある。

 そこで、畑でうろうろしていた支那人(本人の発言のママとする)を見つけたので、そいつに案内させることにした。

 支那人は最初ビクビクしていたが、ひと月もたつと慣れて来て日本語も片言が使えるようになった。終いには自分から偵察に出て、「たいちょーあぶないよー」と敵の存在を教えてくれるようにもなった。

 やがて目的地が近づいたので、その辺で放してやることにした。

 名残惜しそうに、部隊が立ち去るのをずうっと見ていたよ。

 

 ……と、これを「戦場のちょっといい話」のようにニコニコと語っていた。

 もしその時、それは「強制連行」なんじゃないのか、などと言ったら色をなして怒ったことだろう。当人にはまるっきりその自覚がないのだ。ああ、「徴発」とか別な呼び名があるのかな。しかし、「強制」であることは変わらないと思うと言ったなら、やはり怒りだしただろう。

 だいたい、敵の存在を教えるようになったのは、戦闘に巻き込まれない用心だろうし、最後に見送っていたのは、背を見せて駆け出したら後から射たれるのでは、と心配したのだろう。

 ちょっと考えればわかりそうなものだが、当人は「中国人と仲良くすることもあった」エピソードとして、記憶の箱にしまい込んでいたようだ。

 

 なお、この人は人間関係をまったく「軍隊流」で通していたため、下に人間が居着かず、最短は三日(一日休んだので実質二日)でやめてしまっていた。三年半続いた私が最長記録だった。

 戦前の軍人という人間がどういうものか、肌で知ることができたのは得難い体験だったと、今にして思う。現在目にすることのできる軍人という人種の描写は、どれもこれもまったく「ぬるい」と断言できる。

 

 

中国人強制連行 (岩波新書)

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