バブルがはじけるとはどういうことか
内閣改造とやらが行われたそうだが、どこがどう「改造」なのかよくわからない。わかるのは、もはやあべぴょんは長期政権に向けて自信満々だということだ。
おそらく、拉致被害者が帰ってくる目算があるのだろう。それはそれでめでたいことだが、先日書いたように右側への「バブル」が膨らみつつある現状では、あべぴょんのやりたい放題が進むばかりになるだろう。
バブルがはじけるとどうなるか、ということをちょっぴりおさらいしておこう。
平成の始めにはじけたのは「経済」のバブルだったが、その崩壊は日本の社会を根本から揺るがした
バブルがはじけて襲ってくるのは、「信用収縮」という津波である。これまで日本経済を底辺から支えていた「信用」というものが機能しなくなったとき、そのほとんどは「カネ」に置き換えられた。
社会における「信用」というものは、凡庸な人間が人間らしい生活を送るための糧である。たとえ特別な才能や運や親の資産がなくとも、真面目に働いてさえいれば才能や運や資産を持つ物と同等か、それ以上の「信用」を得ることができたからだ。
「信用」が機能しなくなり、カネに置き換えられたために、社会は富める者と貧しい者だけとなり、その中間はいなくなってしまった。
日本人が新自由主義を受け入れる土壌は、このバブルがはじけたときに造成されたといえる。新自由主義が中間層を壊したのではなく、すでにそれを受け入れる器が用意されていたのだ。
以前の場合は経済だったが、政治のバブルがはじけるとどうなるか、というのはまったく予測がつかない。
今の日本の少なからぬ人たちが、現政権を熱狂的に支持している。そして、さらに多くの人がその熱に当てられている。
熱狂的支持者はたとえバブルがはじけてもそのままだろう。しかしその周囲の熱に当てられた人が冷めたとき、収縮した政治への「信用」の空隙を埋める物は何か。
政治への不信はアノミーを生み、ごく一部の富裕層という新たな貴族のような者だけが政治を動かすということに、誰一人異を唱えることがなくなるかもしれない。
「もうそうなってる」とかいう賢しらな中学生レベルのまぜっかえしなど、もはや何の意味もない。そんな言葉遊びをする余裕なんか、社会のどこにも残ってないのだ。
経済のバブルがはじけたときの、あの言い知れぬ無力感がまた襲ってくるのなら、出来るだけの抵抗を試みたいものだ。
- 作者: 日本経済新聞社,日経=,日本経済新聞=
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