茂木健一郎はまったく正しい

有名受験予備校を名指しで「つぶれろ!」 茂木健一郎氏の偏差値入試批判がネットで物議

http://www.j-cast.com/2014/03/10198807.html

 

 書こうかどうしようか迷ったのだが、やはり吐き出しておこう。

 茂木健一郎がこのようなことを言ったのは、全く正しい行動である。

 茂木氏クラスでないと、こういったことを口にしても鼻も引っ掛けてもらえないのだから。

 確かに「他にどんなやり方がある?」ときかれても代案はない。しかし、正しくないものは正しくないと、常に確認しておくことは必要だ。でなければ、その正しくないシステムをくぐり抜けるうち、若者のはらわたが腐ってしまうからだ。

 その腐敗は、低偏差値の人間だけでなく、高偏差値の人間にも多く現れる。はらわたの腐った人間は、ひどい口臭をまきちらすことになる。

 そして、自分の口臭は自分ではなかなかわからないものだ。

 

 橋本治がまだ駆け出しだった頃、「東大出って、本当にダメ。なんでダメかっていうと、いつでも『学歴の話題にならないかな?ならないかな?』って待ってるとこ。そのくせ自分から学歴の話題をふることは絶対にないこと。それなのにずーっと待ちかまえてるとこ。それで、自分ではバレてないと思ってるとこ。バレバレなのに」というようなことを語っていた。これはある程度、自分のことを言っていたのだろう。橋本治は臭みに敏感な人だから、自分の口臭に気づいてそれが許せなかったのだと思われる。

 

 腐敗を生み出すシステムの厄介な所は、そうしたシステムによって掬われる人間が少なからずいる、ということだ。

 それゆえ、高い偏差値のおかげで掬い上げられている人間ほど、自らの腐敗に自覚的でなくてはならない。

 休み時間になると机の上に腰掛けてニヤつきながらちょっかい出してくるようなやつが、「おめえはなんぼだったよ」と実力テストの結果をひったくって見てから何も言ってこなくなったからといって、そんなことをいつまでもニヤニヤ思い出しているようでは自分が腐っていくだけだ。

 

 こうした腐敗に対して自覚的に対処できなければ、やがては日本中から耐え難い臭気が立ち上ることだろう。

 いや、もう立ち上っているかも知れないが、自分の臭いというものは自分ではなかなかわからないものなのだ。