アーレントについて早速しらべてみた
コロナのせいで在宅時間が長くなり、妻の目つきが「いつまで居るんだろ、こいつ」な色を宿しつつあるこの頃、皆様いかがお過ごしであろうか。
すっかり日課となったはてブ逍遥で気になるのを見つけたので、暇にあかせて図書館で調べてみた。仕事のついでもあったからね。
はてブといっても、元のは私が普段鼻もひっかけないツイッターというやつなのだが、ちょっと聞き捨てならないことが書かれていた。
"アーレントはヒルバーグの大著『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』の査読を出版社から依頼されて出版不可の返事をしたのに、その後それを参考に(ちゃんと明示せずに)『エルサレムのアイヒマン』を書くという恥知らずの人間なので、彼女の推薦書などには何の価値も認められない。
このことは初耳だったので己の勉強不足を恥じるばかりだが、自身の老害化予防のためにもきちんと当たっておこうと思い立った。じじいになって一番よくないのが、こういうことを億劫に感じることだからね。
ツリーの中の記述によれば、件のスキャンダルはヒルバーグの自伝に書かれているという。幸い邦訳があるので図書館で借り出してみた。
以下、該当部分を引用する。
偶然にも私は、同じコレクションのなかに、それよりわずか四年前の一九五九年四月八日付で、プリンストン大学出版局のゴードン・ヒューベルが彼女にあてた手紙を発見したのだ。その手紙によって、プリンストン大学出版局が彼女に私の原稿の評価を依頼していたことを知った。彼女への謝意を述べながら、ヒューベルは小切手を同封していた。すなわちここにあるのは、ヒューベルが私の原稿を拒否するのに用いた主張――現実的に見て、ライトリンガー、ポリアコフ、アードラーによってこの分野の研究は達成されている――の根拠なのだ。この評価は、アイヒマンがアルゼンチンで逮捕される一年前のハンナ・アーレントの考えであった。
つまり、プリンストン大から出版拒絶された原因は、アーレントによる評価であった、と。この手紙は国会図書館の原稿課というところに保管されていたという。私信であっても公的な要素を含んだものならば、他人の目に触れることもよしとするということだろうか。
とはいえ、ヒルバーグの物言いはどこかまわりくどく直接的でない印象を受ける。もっと怒ってもよさそうなものだが、相手に引きずられないようにという節度がそれをとどめているのだろう。
なんせアーレントはヤスパース宛の書簡でこのように述べているのだ。
ヒルバーグが私を支持する立場を表明したという話は、まったく知りません。彼はかなり頭がどうかしていて、いまはユダヤ人の「死の願望」とやらについて喋々しています。彼の本はほんとうにすぐれていますが、ただそれは事実の報告に徹しているからこそです。もっと一般的な、歴史を扱っている序論的な章は、まるでブタ小屋。
以上はみすず書房の往復書簡集から引用した。書簡の日付は一九六四年四月二〇日である。アーレントは最後に下品な表現をヤスパースにあやまっている。なお、『記憶』によれば、アーレントによるあからさまな罵倒は、アメリカ版の翻訳からは削除されているという。
そしてアーレントは、ユダヤ人全体が潜在的に持つ「死の願望」がホロコーストに拍車をかけた云々の主張をヒルバーグが行っているように語っているが、その点についても『記憶』でうっかりよみすごしそうになるほど上品にやんわりと否定されている。
ユダヤ人の運命に関連させて、死の願望について書いたり発言した人物を、私は一人も思いつくことができなかったからだ。
さらに『イェルサレムのアイヒマン』において参考文献として『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』が明記されてないことについても、物わかりの良いことを書いて見せる。
一九六〇年代のピーパー社は、名誉棄損に関しては一九八五年よりもはるかに心配していた。『イェルサレムのアイヒマン』をドイツの読者向けに出そうとしたときに、名誉棄損で訴えられる可能性が障害物になったのだ。脚注で引用先を明かさない限りは、ドイツ国内で当時はまだ生きていた多くの人々に関する描写は実証できないからだ。
ピーパー社は『イェルサレムのアイヒマン』の版元であり、『アーレント=ヤスパース往復書簡』も出している。
参考資料について版元から問い合わせを受けたアーレントは、返事の中でこのように明かしている
ここでは、私が他の場所でしたように、一九六一年に出版されたラウル・ヒルバーグの『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』に提示された内容を用いています。
問題があったのはアーレント一人ではないが、ヒルバーグは終始自制のきいた筆致で事実のみを述べることで反駁している。
掘り下げればもっといろいろ出てきそうだが、とりあえずはこの辺で。
アーレントがまったく無傷の人でないことは、引用のおかしなところなどからも知っていたが。
ともあれ、さっさとワクチンの予約ができないものかと無駄にイラつく梅雨の日に、脳みそを軽く掃除できたようでスカッとした。