「アメリカ第一主義」の崩壊(ただし日本における)

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 一顧も一瞥もされないのにアメリカにあれこれと注文をつける日経さんだが、もちろんこの社説は日本の読者に向けて書かれているのであり、そこに日経さんが代弁する日本の上つ方の混乱ぶりが透けて見える。

 これまでアメリカからの「ガイアツ」を利用することで権勢をふるってきた人たちは、本当の本物の「ガイアツ」が登場することで自分たちの飯が一種の「おあずけ」になってしまったのだ。

 

 日本国内で70年の伝統を持つ「アメリカ第一主義」は、「アメリカ様はこのようにお考えに違いない」「そのようなことはアメリカ様がご不快になるはずなのでやめたほうが良い」、というような物言いによって、自立した行動をしようとする人たちの足元をすくい、自分たちの利益を擁護してきた。

 社会へのこうした統制の方法を見ると、天皇制というのは天皇抜きでも成立する「構造」があるのだな、とよくわかる。

 しかし、トランプというビッグフットの登場によって、その「構造」はまったく機能不全になってしまった。

 

 まあとにかく、今日あたりあべぴょんは電話会談もするそうだし、来月には首脳会談もあるようだから、生暖かく見守ることとしようか。

 

ビッグフット 猿人 [DVD]

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Living Dead Cat Bounce!

 世の中には、とにかく金さえ儲かりゃいい、自分が持ってる株さえ上がればいい、という人種が少なからずいる。

 株さえ上がるなら、環境が破壊されようが、何万人飢え死にしようが、原発が壊れようが、まったく意に介さない人々だ。

 しかし、現代においてそういう人間のあり方は、積極的に肯定されている。むしろそうした傾向を否定する方が、「全体主義的だ」などと言って非難される。肯定する側としては、フリードマンの流れをくむ新自由主義者などが代表的だ。

 そして、日経さんも御多分に洩れず肯定的であり、そうした傾向を隠すことなくおおっぴらにしてきた。

 が、それもどうやら「限界」のようである。

 

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 トランプ大統領になって株価が絶好調であるにもかかわらず、日経さんの表情は暗い。

 

昨年来のトランプ相場は、米国の長期的な株価上昇と様相が異なる点も多い。

 

 なるほど。では、GPIFの買い増しによる日本株の上昇については、どのように思われますか?

 

米国の保護主義的な政策は、長い目で見て米企業の競争力を弱めかねない。 

 

 アベノミクスの大企業保護は、日本の企業の競争力を高めたのでしょうか?

 シャープは?東芝は?

 

 ともあれ、株で儲かりさえすればいい人たちは、このトランプ相場とやらが長続きするなら、ころころとトランプ支持に寝返ることだろう。

 当選した瞬間は暴落してクルーグマンをぬか喜びさせた。「この暴落は長引く」とクルーグマンは高らかに予言した。すぐさま跳ね返るようにして暴騰し、クルーグマンの大予言はまたもハズレた。アベノミクスで日本大復活の予言に続いて二度目である。

 暴落の後、株価がいくらか戻すことをDead Cat Bounce と呼ぶ。最近はあまり目にしないが。ちょっと跳ね返って戻っているが、ネコはとうに死んでいる、というわけだ。

 だがもし、このネコがゾンビになって徘徊しだしたらどうだろう?

 考えるだに恐ろしい事態となるに違いない。

 

 もしこの先、米国経済が不調をきたしても、トランプには最強の言い訳がある。何が起ころうと

 「天気が悪いせいだ!」

 と言っておけばいいのだ。

 海の彼方の島国において、とうに実践済みである。

 

 

死んだ猫の101の利用法 (1981年)

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国会論戦でんでん

 昔、一万田尚登という名の大蔵大臣がいた。戸籍上は「一萬田」と旧字だったらしいが、通常は一万田で通っていた。

 元日銀総裁であり、鳩山内閣(一郎の方)と岸内閣で大臣を務めた。岸内閣の時には、現政権と逆の「デフレ政策」を指揮している。

 この人は、ずいぶん言い間違いの多い人だった。

 例えば「座談会」を必ず「だざんかい」と言う。記者から注意されても意に介さず、平気で何度も間違えた。学歴は一応東京帝国大学卒であり、いわゆるエリートの部類に入る。この間違いは、いわばオヤジギャクの原型のようなものか。

 

 さて、先日の国会論戦において、一番盛り上がる場面の一番大事なセリフで間違えるという、故蜷川幸雄であれば灰皿投げて主役を交代させるようなヘマがあった。

 我らが総理大臣あべぴょんが、「云々」を「でんでん」と読んだのである。

 うっかり読み間違えたのではなく、かなりの確信を持ってはっきりと力一杯間違えていた。

 間違いは誰にでもあるものだが、この間違いには一万田蔵相の場合と違った、ある種の「きもちわるさ」がある。

 

 「云々」を「でんでん」と読むのはどのような場合があるのか。

 まず「云々」を人前で読む機会がない。さらには文章で「云々」という語を見ても、それが「うんぬん」につながるきっかけを喪失している場合がある。しかしフーテンの寅さんならともかく、位人臣を極めた総理大臣がそのような境遇で成長したとは考えにくい。麻生の「未曾有」とはまたレベルが違う。

 ならば、それまでも間違うことがあったが、その間違いを指摘されることがあっても受け入れない、といういじけた頑迷さが原因だ、と推察される。

 間違いの指摘について、一万田のように笑って応じるのではなく、逆ギレして騒ぐようであれば、指摘する側もバカバカしくなって何も言わなくなるだろう。

 すると、当の御本尊様は、御自分の「無謬性」を無根拠に信ずるようになってしまう。

 

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野党批判と自画自賛はそろそろやめて、政権の次の一手をもっと雄弁に語ってほしい。 

 

  日経さんの苦言ももっともなことである。

  バカな読み間違いに触れないのは当然の良識と言えるが、「でんでん」が「自画自賛」と結びついていることは、一事が万事でこの調子なのだと考えたほうがいい。

 幼稚な傲慢さは、ここぞという場面でにおいて、「でんでん」という形で覿面に露わになったということだ。

 まあ、総理の「無謬性」を信じてやまない人たちにとっては、「この程度の間違いで騒ぐ方がおかしい」のだろうが。

 

 

大蔵省の便所―ずいひつ (1970年)

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どんどん「自由」になってゆくアメリカ

 「自由」というものの定義はいろいろある。自由の国を称するアメリカであれば、それはさらに多様だ。

 その中の一つにこういうものがある。

 「とある集会において、誰も銃を持たない中に一人だけ銃を持った男がいるとする。その場で一番自由なのは、銃を持った男である」

 なんだか一瞬ジョークのように聞こえるほどプリミティブな考えだが、これそのものでなくとも、これと通底する考えを持つアメリカ人は少なくない。

 だからこそNRAは最強の圧力団体であり、米憲法修正第2条は日本の9条以上にファナティックに支持され、乱射事件は節分のような年中行事となり、さらに乱射犯の家族の元へは電話でたくさんの「慰め」の言葉が届けられるのだ。

 「アメリカ第一」というトランプは、そうしたアメリカの「自由」について、非常に忠実なのだと言える。

 

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 そんな「自由」を愛するトランプであれば、TPPを離脱するのは当然だっただろう。

 アメリカは一切譲歩することなく、相手の譲歩だけをひきだすことこそが、トランプの「自由」だからだ。

 

 経済のグローバル化が進んだ現在、国境を越えた複雑な供給網がつくられている。2国間交渉を重んじるのは世界経済の現実を直視しない視野の狭い発想だ。

 米政権は日本にも2国間の自由貿易協定(FTA)交渉を求めてくる可能性がある。米国との2国間交渉の是非についても11カ国で対応をすりあわせてほしい。

 

 どうやらこれが日経さんのいう「果実」らしい。

 11カ国で対応するなんてことをすれば、よけいにトランプの逆鱗に触れるだけだ。また、他の国々も迷惑を感じ、協力を惜しんでやまないことだろう。というか、期待する方が無理である。

 

 日本が米国との2国間FTAを最初から拒む必要はない。ただ交渉に入れば、米国は農産品を対象にTPPの水準を上回る関税撤廃を求める公算が大きい。

 

 求められてくるのがFTAという、相互に関税を撤廃するものであろうというのは、楽観にすぎるのではないか。

 米国の関税は引き上げ、日本の関税は引き下げる、下げる余地がなければ他の方策で補うようにする、そのくらいのことが求められてもおかしくない。そうすることこそが「アメリカ第一」の「自由」だからだ。

 

 

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それより「デマに強い社会」が先決では?

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一方でロシア政府の影響下にあるメディアでクリントン候補に不利な偽ニュースを流し、交流サイト(SNS)などで拡散した。

 

  これ、ロシアばかりが悪いわけではない。ネット空間というものが、そうした「汚染」に親和的なのだ。

 今もその「偽ニュース」は事あるごとにばらまかれていて、それを指摘されても「そんなデマを撒かれるクリントンの方が悪い。彼女がきちんとした人間なら、そんなデマ広まらなかったはずだ」と張本人は開き直るのである。

 おや、どこかで見たような風景だ。

 まったく、ネット空間の「汚染」については、日本はアメリカの先を行ってると言える。なんたって、デマをばらまいた本人が総理大臣になっているくらいなんだから。

 

もっとも、サイバー攻撃の完封は不可能に近い。また、偽ニュースを排除しようとして情報の自由な流通をさまたげれば、かえって民主主義の基盤を損なう。 

 

 10年以上インターネットの有様を見てきて、おおよその人はネットに自浄能力は期待できない、と気づいたことだろう。

 であるにもかかわらず、誰もが手をこまねき、誰もが口ごもっている。インテリと呼ばれる人たちですらも。2ちゃんねるとやらでは、「嘘を嘘と見破れないと匿名掲示板は使いこなせない」と賢しらなことをぬかす奴が幅を利かせている。昔からクソ生意気な小僧だったが。

 なぜそのようなことになったのか、という分析はさておき、旧来のマスメディアが当然なすべき役割があるはずだ。

 特に、ネットに押されがちな紙媒体において。

 それはネットにばらまかれている稚拙なデマについて、きちんと取り上げてはっきりと批判することだ。

 ネットの外側の「紙」だからこそ、それは有効なはずだ。

 ネット空間は必死で批判を無効化しようとするだろうが、それはいわゆる「ブーメラン」にしかならないだろう。

 

大切なのは、情報の真偽と、その裏にひそむ政治的な思惑を見極める力を、有権者が身につけることだ。サイバー攻撃などの干渉をおそれるあまり、政府や政党をふくめ自由社会がIT(情報技術)をいかした革新を怠れば、むしろ「敵」の思うつぼだろう。

  

 日経さんは「有権者」にボールを投げて、ご自分は知らぬふりのようだ。

 もしかすると、日経さんも「ブーメラン」を恐れているのかもしれないが、向こう傷を避けるようなら新聞なんかとっととやめてしまうことをお勧めしたい。

 

 

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ステルスなポピュリズム


Women's March on Washington 2017 (FULL EVENT) | ABC News

 

  トランプが就任するや、アンチのうねりが凄まじい勢いである。

 このままトランプを辞任に追い込んでくれ、というのが日経さんの一縷の望みであろう。

 そうすれば後任がTPPを復活してくれるかもしれないからだ。

 

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 だがしかし、そうは上手くいかないだろう。

 トランプ自身、こうしたデモを屁とも思っていないだろうからだ。彼は表に現れないステルスな支持者によって大統領になったのであり、たとえ支持率が史上最低だろうがまったく痛痒を覚えないはずだ。そして、それは表向きにも40%は存在する支持者たちもまた同様である。

 だいたいアメリカの大統領は、自分でやめるか死ぬかしない限り、引き摺り下ろすのは至難の技だ。

 それに、これはアンチ・トランプの人間があまり語りたがらないことだが、現在は上下両院でも共和党が過半数だということを忘れてはならない。共和党とトランプは不仲とされるが、一致する部分も多い。確実に民主党以上に。トランプが議会の操縦を過つことも、また期待薄なのだ。

 少なくともあと4年は、あの古くなったラードを頭に乗っけたようなおっさんに、おつき合いする覚悟を求められるということだ。

 

自分たちの生活が脅かされる。英国のEU離脱もトランプ政権の誕生も、人々のそんな不安感によって起きた現象だ。今年は欧州でフランス大統領選など重要な選挙が相次ぐ。ポピュリズム大衆迎合主義)的な風潮にどうすれば待ったをかけられるか。

 

 それはまず、自分の頭の上のハエを追うべきでは?

 一昨年にこういうエントリーを書いたが、

osaan.hatenadiary.jp

 日本がとっくにポピュリズムに陥っていることについて、どこまで目をそらそうとするのだろう?

 それとも日本のポピュリズムのステルス機能は、自国のマスメディアにのみ働くのだろうか?

 

日本ができる最大の貢献は、トランプ政権に同盟の価値を再確認させ、それをより大きな枠組みに広げることだ。安倍首相の役割は極めて重大である。

 

 黄金のドライバーを送ってニコニコ握手して帰った途端、TPP離脱を言われた「悲劇」を、もう一度「喜劇」として繰り返させたいのだろうか?

 そういえばあの会談、セッティングは悪名高き統一協会だったそうじゃないか。

 まあ、あべぴょんが話した内容ってのは、「改憲したいから協力してね」とお願いして内諾を得た、という程度だったんじゃないかと推測できる。

 

 このあとアメリカ政治に起こりそうなことは、日本の現ポピュリズム政権を見ていれば予見できるだろう。

 「悲劇」も「喜劇」もさらに拡大されて繰り返されるという、ハリウッドもひっくり返るような事態となるに違いない。

 

沈黙のステルス (字幕版)
 

 

「一文字でいうと責任」

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 責任というのはあべぴょんにとって「一文字」だそうだが、どういう考えでそう言ったのかは今も謎である。明治の頃までは単語も「字」と呼んだが、「ひともじ」であれば通常の「一文字」である。それとも「人文字」だろうか。余計にイヤな感じになるが。

 

 「今こそ、未来への責任を果たすべき時だ」と訴えた。

 

 そんなあべぴょんが果たす「責任」とは何か。

 日経さんは「具体策がない」と言っているが、そんなものはあってもないのと同じである。どうせやるフリだけなんだから。あべぴょんが「具体的に」やりたいのは改憲だけである。

 

 で、「未来への責任を果たす」というのだが、あべぴょんの場合「責任を果たすために未来永劫首相を務めます」とか考えていそうで怖い。

 そりゃまあ、これはネタで言っているわけだが、これまで目を疑うような斜め上のことをやってきたあべぴょんだから油断はできない。

 そしてもっと恐ろしいのは、もし本当にそうなっても、今の日本のマスメディアではほとんど批判らしい批判ができないように思われることだ。

 あべぴょんが現在の状況をナメくさっていることは、この所信表明のような施政方針演説によく表れている。

 本当なら政権がひっくり返りそうな失態を何度も繰り返しているにもかかわらず、支持率はうなぎのぼりなんだから。

 日本において、テレビというものを押さえ込んでおくことがいかに効果的か、よくわかるというものだ。

 

5年目の政権運営に入った安倍首相は決意を語るのではなく、もはや結果を出すべき時期に来ている。

 

「経済で、結果を出す」と言ったのはもう一昨年のことだ。

 大した結果が出なくても、それを先延ばしにして甘やかしているのが、日経さんをはじめとしたマスメディアの面々である。

 そちらの「責任」こそ、「具体的」にどうにかしたらどうだろう。あべぴょん信者の役員K氏を叩き出すとかね。

 

 

わたしのせいじゃない―せきにんについて (あなたへ6)

わたしのせいじゃない―せきにんについて (あなたへ6)