「遺産が欲しけりゃ俺のケツを拭け」
「婚外子を差別するな」という錦の御旗の元、ずいぶんやらかしてくれたものである。
改正案では、介護などで故人に貢献した相続人以外の親族が、相続人に金銭を請求できる仕組みも設ける。たとえば息子の妻が義父母の介護に尽力した場合だ。労に報いる方向は妥当だろう。ただ、それが特定の親族への介護の押しつけになってはいけない。
押し付けになるに決まっている。このようなことが「法律」で決まってしまうと、かえって「嫁」が介護から逃げづらくなる。というか、逃さないようにせんがための改悪だろう。
またこのような法律ができると、たとえ善意から介護しても「どうせ遺産目当てだろ」という陰口がつきまとうことになる。そして、介護される当人からも謝意が失われ、「遺産が欲しけりゃ俺のケツを拭け」という態度になる。
さらには、財産を持たない年寄りはないがしろにされて当然、というような風潮を作りかねない。
相続のトラブルに解決策はないとは言え、こんなのを
国民の声も丁寧に聞くなかで穏当な内容となった。
などと表現する日経さんは、「国民」というものを資産家だけに限っているのではなかろうか。
「お前はすでに死んでいるけど、あきらめたらそこで試合終了ですよ」
年金不信、などというが、もうすでに年金制度自体は破綻していると見ていい。でなければ、年齢の拡大など必要ないだろう。
失敗したからルール自体を変えて、自分に有利にしてしまおう、という幼稚な戦略である。「破綻した」などとは口が裂けても言えないので、「すでに死に体だけどあきらめない」という、ゾンビがくるりと輪をかいて盆踊りしているような状況になっている。
足元では表面化していないが、将来にわたって年金財政が盤石とはいえない。現高齢者への標準支給額を示す所得代替率は、想定を大きく上回っている。支給水準を毎年小刻みに切り下げる制度を有効に機能させなかったツケだ。
そこで、超長期の年金財政を安定に導く切り札になるのが基準年齢の引き上げである。欧州には67~68歳に引き上げつつある国がある。平均寿命がより長い日本は70歳を基準にしてもよいだろう。
日経さんがこのように書くということは、上つ方ではすでに「70歳支給」で決定済みなのだろう。「選択できる」などと言っているが、半ば強制になるのは十二分に予測できる。しかも、それでもまだ「不安」なのだという。
結局GPIFのあれこれも、株価を押し上げて政権の支持率アップに役立っただけで、実際のところはストロング・ゼロのように現実から目を背けさせただけで、大した効果はなかったということだ。
本当なら「年金の税化」が必要なところだが、それには官僚の同意と、さらには増税への国民の合意が必須なので、かなりハードルが高い。
民主党はマニフェストに年金の税化を謳いながら、全く手をつけることができなかった。ようやく野田政権の末期に、年金の半分を税化することで自民と官僚の了解を取り付けたが、それは「消費税アップ」を条件とするものだった。
で、現在「消費税アップ」だけが約束通り履行されつつあるわけだが、肝心の年金の方はと言えばご覧の通りである。
「のんびり老後を過ごす」など、国民の1%だけが享受出来る「贅沢」となりつつあるが、それがあべぴょん政権の望むところであり、さらにはまた国民の大多数が支持するところでもあるのだ。
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私はマンガが好きな方だと思うが、ジャンプ系のそれはほとんど読まない。なので、『北斗の拳』も『スラムダンク』も知らない。さらに言うなら、『ドラゴンボール』も『ワンピース』も、文字通り一ページも目にしたことがない。ネットをうろつくと、断片的なネタばかり流れてくるので、最初の頃はずいぶん面食らわされた。
しかし、こういう経験は別に初めてのことではなく、『太陽にほえろ!』を一回も見たことがないので、一時期「なんじゃこら〜」がなんのことやら分からなかった。
以上、余談として。
変えればいいってもんじゃない、というお手本
結構サボってしまった。言い訳は趣味ではないので、粛々と再開する。
何やらお隣ではいつの間にやら独裁体制が着々と進行しているようだ。
詳細が見えてこないので批判しづらくはあるが、憲法に個人の名を入れるとか、一昔前の入学祝いの万年筆じゃあるまいし、馬鹿な真似はやめて欲しいものだ。こっちの「上」にいる「大馬鹿」が真似したがったらどうするんだ。新年号に「安」の字を入れやしないかとヒヤヒヤしてるってのに。
中国に物申したいのことは多々あるが、とりあえずこの「改憲」について、現時点で分かっている範囲で懸念すべきなのは、憲法に個人の名を記すことによって、その個人の意思を憲法よりも上に位置させてしまうのかどうか、である。
昨今の日本の改憲論議で、憲法とは本来権力者を縛るためのものであり、国民を統率するものではない、ということが言われている。
もし今回の中国の改憲で、習近平個人の意思が憲法よりも重きとされるなら、この一点においてだけでも、それは「改正」ではなく「改悪」であると言わざるを得ない。
同様の問題について自国の状況を振り返るなら、まさに憲法を「改悪」せんとする集団が権力を握っており、それは全く他人事とは思われない。
さらに悪いことに、こちらは共産主義というイデオロギーすら持たず、ただの「気分」または「空気」によってそれがなされようとしているのだ。
上掲のような中国の状況は、「共謀罪」がまっすぐに指し示すベクトルの先にある。
「共謀罪」を万雷の拍手をもって迎えた我々は、中国と大して差異のない相似形の政権を上に頂いている、ということを自覚するべきだろう。
日経さんが「デフレ脱却できないのは労働者がちゃんと働かないからだ」とお怒りです
デフレ脱却には賃上げが必要だ、というのはいいのだが、日経さんは「そのためには労働者が今以上にしっかり働かなくてはならない」と仰るわけである。日経さんの言う「生産性の向上」というのは、つまりそういうことである。
そういえばちょっと前に、「日本で男女平等が進まないのは、日本の女性が怠けているせいだ」と主張する御仁がいたが、それと同じような論理である。
それと、日経さんはよく「農家は補助金漬けで甘やかされている。これでは生産性が上がらない」と仰るが、現在金融緩和で農家以上に甘やかされているのが日本企業である。
日経さんの論をなぞっていうならば、「日本企業は緩和で甘やかされているので生産性が上がらない」となりそうだが、そこは「労働者の生産性が上がらないせいだ。労働者が怠けてるのが悪い」となるようだ。
「人間」という日本唯一の「資源」を少子化によって失いつつある今となっても、日経さんはまるで『オツベルと象』のオツベルのように、白象が死にかけていても鞭打てとおっしゃる。
童話では仲間の象が助けに来たが、現実にはそんなことは起こりそうもない。
日本人はお人好しの白象のように衰退していく。自らはこれでも「幸福」なのだと信じながら。
日本の伝統を切除したい日経さん
日本の労働者の質は高い、とつとに口にされる。
昨今の日本万歳翼賛テレビ番組ならずとも、それは幅広く共有された認識である。
例えば、簡単な水道工事など、海外(実体験としてはアメリカ)では待たされた上にひどい手抜きがなされたりするが、日本ではきちんと期日に工事されて、一週間後にまた別のところが壊れる、などということは少なくとも起こることはない。そして、それが「普通」のこととされる。
その質の良さはどこから来るか、というと、右がかった人たちは「日本人であれば当然」などと喚いて思考を停止させて満足する。
よく手本として取り上げられるのは「職人」についてだが、その仕事の秘訣は、高度な「技」ではなく、むしろ継続される「労働」の本質にある。
日本人の仕事の質の高さは、「日本人」などというナルシスティックな民族意識ではなく、見栄えのする「技」を支える地道な「労働」によるものであり、世代を超えて引き継がれ、蓄積された「コツ」によってもたらされるものだ、と考えられる。
そうした「コツ」はごく普通の一般企業においても用いられ、世代を超えて蓄積された地道な「知」によって、日本人の労働者の質の高さが保たれてきた。
それが、無意識に共有される、日本の労働の「伝統」である。
しかし、こうした「質の高さ」は、日本の経済を「構造改革」して「自由化」したい、日経さんに代表されるような人たちにとっては邪魔なものだ。
なぜなら、そうした組織に蓄積される「知」という、「伝統」に頼る労働者の在り方は、「労働者の流動性を高める」ことを阻害するからである。
で、ここで製造業の品質不正問題が陸続として現れてきた。
実はこの問題は、前半で述べた「日本人労働者の質の高さ」と同じ原因を持っている。
というのは、組織に蓄積される「知」とは、要領よく働くことであり、その中には「手を抜く」ことや「サボる」ことも含まれているからだ。
つまり、こうした不正を叩き、「根こそぎ」にすることは、日本の労働者の「伝統」を廃棄し、その質を低めることになる恐れがある。しかしそれは、日経さん念願の「労働者の流動性を高める」ことに繋がるのだ。
なんだか陰謀論めいてしまったが、不正を正すことについては反対しづらいので、ついでにそれを「根こそぎ」にすることについても反対できなくなりはしまいか。
昨今、日本人の労働者の生産性の低さがあげつらわれてるのも、同じ流れのように思う。
「ごく一部の富裕層と数多の貧困層」という社会を作るためには、労働者は従順かつ愚者である必要がある。
不正を正すなら、ブラックジャックのような正確無比のメスさばきで、「不正」の部分のみを切除してもらいたいものだ。
「ついでだから、ロボトミーの手術もしましょう」と言い出しかねない、そんな今日の日経さんなのである。
改革されない日経さんのおつむ
山一破綻から20年か。バブルの崩壊をあのおっさんの泣き顔とともに記憶している人も多いだろう。
バブル崩壊は数々の惨事を引き起こし、それが「改革」のきっかけとなったわけだが、何よりも馬鹿どもののぼせた頭に水をぶっかけた一番の「改革」だったと思う。
さらには、日本中の人間に「経済」というものを意識の中心に昇らせ、「日本経済新聞」が株屋御用達から脱皮して高級紙めいた地位を獲得する下地となった。お忘れの方も多いと思うが、バブル以前の日本では、普通のサラリーマンは株価など全く意識せず、居酒屋で話題にすることすらなかったのだ。
しかし、日経さんのおつむの中味は、まだ昔のままの部分があるようだ。
足元の株式市場は息を吹き返しつつあり、日経平均株価は約26年ぶりの高値水準を回復した。底が抜けたかのように株価急落が止まらないといった事態が遠のいたのは、金融システムの安定と市場改革の効果も表れているとみてよいのではないか。
好業績と株高を背景として企業が投資や採用を拡大し始めるなど、デフレ脱却に向けた経済の好循環の兆しもみえる。
おや?つい先日、現在の株価は「バブル」だとおっしゃってませんでしたっけ?
ともかく、「株価さえ上がればなんでもオッケー!」な日経さんの昭和な思考こそ、「改革」が必要なんじゃないのかね。