それならもうすでに対岸ではなくなっているような

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 なんだかピンとこない社説である。

 「対岸の火事ではない」などと言いつつ、「日本にはまだまだ火がつくような燃料が足らない」というような論で締めている。

 それとも日経さん独自のネットワークで、火がつきそうな企業の情報をつかんでいるのだろうか?

 というか、現時点でこのような「火事」について書かれると、全く分野の違う場所でのもう一つの「火事」が思い出されてしまうのだが。

 

「まず事業を始め、問題はあとから解決する」姿勢を貫いてきた。 

 

 とにかく閣議決定して、法律を強行採決してしまう。

 

女性社員のセクハラの訴えを無視 

 

 自称ジャーナリストの準強姦罪をもみ消した。

 

競合企業から自動運転の技術を盗んだとの疑惑 

 

 国有財産を格安で身内に分けた。つまり国民の資産を盗んだ。

 

ラニック氏のドライバーに対する暴言 

 

 「こんな人たちに」とかなんとか。

 

大株主のベンチャーキャピタルから辞任を求められた。

 

 そろそろか?

 

一連の問題から浮かび上がるのは、ブレーキ役となる人材がいなかった実態

 

 お友だちを周りに集め、やりたい放題だった。

 

 ……とまあ、こんな感じで、名指さずとも誰のことだかわかるような感じだ。内田樹が「今の総理は民主主義で選ばれた政治家ではなく、企業経営者のよう」と言っていたのを思い出す。

 

 日経さんの思惑が奈辺にあったかは知らないが、そういう対岸の火事ならすでにこっちでも燃え盛っている。

 古代ローマでは、川向こうの火事に手を叩くplauditeのを戒めたというが、拍手して眺めるうちにこっちの背後も火がぼうぼう、というわけである。

 

Plaudite! Acta est fabula. 拍手を!芝居は終わった。

アウグストゥス

 

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またもやガラパゴス?

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 幼い頃、大阪万博でヨチヨチと走る電気自動車を目にしてから、もうすぐ半世紀となる。

 ここ何年かのEV周辺の動きは凄まじく早く、またしても日本は後手に回りそうだ。

 

気になるのは日本メーカーの動きだ。トヨタ自動車など日本車は燃費改善などエンジンの改良で一定の成果を上げてきたが、過去の成功にとらわれるあまり、新たな潮流に乗り遅れてはならない。 

 

 すでにしてそうなりつつあるように見える。

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 日経さんはこの現状に対して、EVだってそんなにいいことばっかじゃないよ、まだまだ大丈夫だよ、と第一志望を滑った受験生を慰める塾講師のようなことをおっしゃる。

 

 昨年の世界新車販売に占めるEVの比率は0.5%にすぎず、ハイブリッド車を含めた電動車全体でも3%弱にとどまる。電池のコストがエンジンに比べてまだまだ高く、一回の充電で走れる距離も短いからだ。 

 

 この程度の課題など、時代の潮流が激しさを増せば、たちまち角砂糖のように溶けて消えてしまうだろう。

 そうした時代についていけないのは、何も大規模製造業に限らない。

 

他方で温暖化対策としては発電時に発生するCO2も勘定に入れて考える必要がある。CO2排出の少ない原子力発電の比重が高いフランスが電動化に動くのは、この観点からも理にかなっている。

 

 突然わけのわからないことを言い出していきなり結論する日経さんも、十分に「時代遅れ」の資格がある。いや、わかることはわかるが、いい大人が口にするような分析じゃないだろう。幼稚にすぎる。

 どうせなら、これを機に自動車業界にある「岩盤規制」を崩そう、くらいのことは言ってもらいたいものだ。

 公道をうろちょろ走るカートなどを見るにつけ、自動車製造業への参入障壁ってのはなんなのか、と疑問を覚える。

 国家戦略がどうしたとかぬかすなら、どこぞの都市を丸ごとEV優遇にして外資大歓迎にしよう、くらい提言してみてはどうなのか。

 まあ、日本のメディアは自動車業界に頭が上がんないからねえ。

 日経さんは特に。 

 

印象操作(笑)とポピュリズムと

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 今まで机に向かってパソコンでエロサイトばかり見つつ、さも勉強しているかのような「印象」を振りまいていたお子様が、テストの当日になって逃げ出したかのような「印象」になっている。

 土砂災害でも帰国せず、「テスト」が終わってからのこのこ帰ってくるという、最悪の「印象」となっているわけだが、こういうのもあべぴょんにとっては「印象操作」なのだろう。

 

 拉致問題についても北方領土についても最悪の結果をもたらしながら、メディアによる「印象操作」のおかげでこの政権は今までながらえてきた。

 その大切な「印象」に自ら泥をぶっかけてしまっているのだが、ご本尊はまったく自覚できていないだろう。

 あべぴょんが気にする「印象」とは、すなわち「支持率」である。

 支持率さえ高ければ、何をしても許されるように振舞ってきたので、それが下がってくると非常にまずいわけだ。自業自得というわけだが、問題はそれだけではない。

 

 これはあべぴょん政権以前からの傾向だと思うが、とにかく政権の「支持率」をもって第一の尺度とするという、マスメディアやそれに関わる有象無象の論調によって、その前提としてある「議論」、すなわち民主主義の根幹がないがしろにされているのではないか。

 支持率支持率と騒ぐことで、「じゃあ支持率さえ高けりゃいいんだろう」というお子様政権が出来上がり、さらには議席さえあればいいんだろうと強行採決を連発するようになった。

 支持率第一の考え方と強行採決とは、一直線に結ばれている。

 以前は、政権がなしえたことが第一にあり、その結果としての支持率というものがわかりやすい目安として語られていた。

 それがいつの間にやら(たぶん、小泉あたり?)支持率こそが第一のように語られる仕儀となり、それがこのお子様政権を「一強」にしてしまったのだ。

 ついでに、アベノミクス(笑)とやらで、やたら株価を吊り上げているのも、同様の思考によるのだろう。株価さえ上がっていれば、「景気は良くなっている!!」と強弁してしまえるわけである。

 ついでに失業率の低下も同じようなもので、賃金が上がってこそ成果と言えるはずが、「失業してるよりマシだろう」という上から目線で思考停止している。

 これらのような「数字さえあればその背景について思考しなくても良い」という風潮は、ポピュリズムと呼べないだろうか?

 私はそのように考えたので、中途から支持率について気にするのをやめることにした。

 

 現在支持率が降下していることについて、今まで自分の支持率の高さばかりを誇っていたあべぴょんはしかたないが、これからは数字の背景を前景にもってくるようにしてもらいたいものだ。

 勉強してとった100点も、カンニングしてとった100点も、100点は100点にちがいない、というのでは、社会はとどまることなく腐敗していくことだろう。

 

 

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あべぴょんがんばれ的な北朝鮮

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 あべぴょんと北朝鮮は「敵対的共犯関係」にある。

 「敵対的共犯関係」とは、実は裏で正恩とあべぴょんが手を結んでいて、あべぴょんがピンチになると正恩がミサイルを撃つ、などという幼稚な陰謀論ではない。

 互いに敵対することが、そのままお互いを支えてしまうことになる、という強権的な政府による外交ではしばしば起こることである。

 で、今回、北朝鮮はその「関係」をアメリカとも結ぼうとしている。今までフラれっぱなしだったが、政権がトランプに代わって可能性が高まってきたのだ。

 

 さて、この問題、ちょっと考えてみれば、日中韓が緊密な関係を結べていたならば、起こり得なかったことだとわかる。

 しかし、中韓に対して強硬なポーズをキメてみせることで支持を得たあべぴょん政権では、そのような芸当はとうてい無理だ。

 日本が元となってもたらされた東アジアの混沌が、北朝鮮を大いに利している。

 つまり、正恩にとって、日本の政権があべぴょんである限り、自分はいくらでも好き放題できるし、かねてより意中の存在だったアメリカにも堂々とアプローチできる、というわけだ。

 

米国や日本は中ロを粘り強く説得していくべきだ。

 

 政権が現状である限り、それはまったく効果がないだろう。

 日本も、そしてアメリカも。

 

 

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この際なので現状の日本における「無党派層」の意味を考えてみる

 まず、少し麻雀というゲームについて述べる。ルールを知らない人にもなるべく伝わるように書くので、しばしお付き合い願いたい。

 馴染みの薄い人でも、このゲームが本来4人で行うものであることはご存知だろう。分厚いタイルのような「牌」に模様の書かれたものを集めて点数を競うわけで、最初に配られた手(配牌)に、裏返しで2段に積まれた牌の列(牌山)から、一つづつ牌を順番に取って(ツモって)くる。集めた牌の揃い具合によって、点数が変わる。

 気づいてない人も多いのだが、このゲームには5人目のプレーヤー(面子)が存在する。その面子はゲームに全く参加しないし、勝ちもしなければ負けもしない。人間ですらもない。にもかかわらず、勝負に大きな影響を持っている。しかもそれは、神や運と名づけられる目に見えないものではなく、はっきりと目の前に存在するのだ。

 やったことのある人ならすぐわかるだろうが、麻雀というゲームは牌を最後の一枚まで取るということをしない。必ず中途で終了する。すると、ツモられなかった牌の「山」がけっこうな数で残る。

 その残りの「山」がその「5人目の面子」となるのだ。

 せっかく高い手が来ていても、必要な牌が「5人目の面子」に埋もれてしまっていた、などということはしばしば起こる。この「5人目」をどう味方につけるかが、麻雀というものの勝負のカギとなる。

 勘のいい人はすでにお気づきだろう。この「5人目」とは、選挙での「無党派層」にあたるものなのだ。

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 今回の都議会選挙での予想を上回る自民の惨敗ぶりについて、どこかで聞いたような分析ばかりが目につく。(日経さんの社説は「分析」すらしていない)

 「やっぱり公明党がカギだ」などという浅薄なことを言い垂れて事足れりとする論者も多い。

 だが今回、50%をやや上回る程度の投票率の選挙において明らかになったのは、「無党派層」というものの存在感がどんどん増してきている、ということだ。

 

 「腐敗した政治家は投票しない善良な市民によって支えられている」

 とフランクリンは言った。

 その通りだと考えるので、私は選挙というものには欠かさず参加している。

 しかし、世上「無党派」と仮の名が与えられた人たちは、そのときどきの気分によって参加したりしなかったりするし、生まれてこのかたまったく参加したことがなかったりもする。

 そうした人たちが多いと投票率が下がり、組織票をしっかり持つところが優位になる、と言われている。実際、組織力で勝る公明党は候補者の全員当選を果たした。

 だが、そんなことは前々からわかっていたことだ。それを踏まえた上で、多くの評論家やそれを気取る人たち、そしてマスコミ諸賢は、都民ファなんとかより自民がやや落ちることになりつつも「拮抗する」と予測し、その間に挟まれた他の諸党は二つの大岩にすり潰されるように消えてしまう、と考えていた。

 まさか自民党議席数が、公明党同数、共産党と数議席しか変わらないほどに落ちぶれるとは、まったく予想していなかった。(私もしなかった)

 創価学会がどれほどの組織力を持っているか知らないが、これほどドラスティックな結果をもたらすことはできないだろう。それができたなら、数年前に民主党に政権を渡したりしなかったはずだ。

 それはつまり、「無党派」というゲームに参加しない連中が、選挙に対して与える影響は思ったよりも巨大だということだ。

 そのことがはっきりと目に見える形で現れたのが、今回の都議会選挙だと私は思う。

 今回の都議選の投票率は51.28%だったという。彼らがどこに投票したのかということばかりが重要なこととして語られるが、それ以外の48.72%はいずれかに投票する動機を持ちつつもそれを埋もれさせた、ということもまた重要なのだ。創価学会組織力などよりもずっと。

 

 麻雀の「5人目の面子」のように、彼らはまったくものを考えないし、意思表示しないし、ゲームに参加すらしない。それゆえ勝つことも負けることもないが、ゲームの勝敗を大きく左右する。

 それが民主主義にとって、良いことなのか悪いことなのか、という判断はとりあえず置いておこう。

 必要なのは、神でも運でも空気でも流れでもなく、一般意志2.0とかいう与太話でもない、はっきりと存在する「彼ら」について、無視することなく「知る」ということである。

 

  なお、今回のことで公明党は自民に対する発言力を増すだろうが、すっかり極右政党となった公明党と、極右思想集団と化した創価学会では、大幅な方針転換などはまったく起こらないだろう。

 

 

本音が透けて見えるシースルー社説

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 ずいぶんへどもどした社説だ。どうしてへどもどした物言いになるかというと、何かを隠しながらしゃべっているからである。

 

インドが核拡散防止条約(NPT)に未加盟で、核兵器保有していることも忘れてはならない。締結交渉はこの点が問題になり6年以上を費やし、国会審議でも核不拡散をさらに形骸化させかねないと懸念する声が出た。 

 

 敵対的共犯関係にある北朝鮮核武装をテコに、自国の核武装を進めたい人たちにとって、NPTなどというものは「形骸化」させておきたいものだろう。

 

日本政府はインドが核実験を再開した場合、協力を停止すると説明している。加えて、日本から供与した技術の軍事転用を防ぐ厳格な歯止めも欠かせない。核不拡散のルールを守りながら、地に足のついた協力を進めるべきだ。 

 

 それは原発が完成した後も有効なわけではないだろう。

 また一時的に協力を停止したとしても、すぐなんらかの理由をつけて再開することは目に見えている。それが日経さんの言う「地に足のついた」ということだからだ。

 

インドは経済成長に伴い電力需要が急増し、2050年までに電力の25%を原発で賄う計画を立てている。温暖化防止でも原発を重要な手段と位置づける。日本より先に米国やフランスなどと原子力協定を結び、仏アレバ社から6基を輸入する計画も動き出した。 

 

 アレバ社は経営不振で国から援助を受けている。インドの件は干天の慈雨というべきものだろう。

 

同国への輸出をめざしていた東芝の子会社、米ウエスチングハウスが経営破綻し、計画の一部は修正を迫られているが、インド政府は原発増設の方針を変えていない。原子炉本体を欧米企業が輸出する場合でも、部材を提供する日本企業抜きには成り立たない。 

 

 インド政府による全体の方針は変わらずとも、日本側の事情が変わったのだ。インドの原発計画は当初ウェスチングハウスを躍進させるものと喧伝されたが、ウェスチングハウスは現状で東芝どころか日本財界のお荷物となっている。ここにある見通しは楽観的に過ぎるだろう。

 

国内メーカーは東京電力福島第1原発事故を踏まえ安全技術を高めつつある。それをインドの原発の安全確保に生かす道もあろう。 

 

 なんだこの文章。生かさない道もあるのか? だいたい「技術」が高まっても、それを扱う人間の「思想」がそのままなら、やがて破綻を来すのは先般の大洗を見ても明らかではないか。

 

日本は唯一の被爆国として核兵器を持たず、他国の核武装に協力しないことを原則としてきた。今回の協定をテコにして、インドに核実験停止の約束を守り続けるよう求め、NPTへの加盟も粘り強く働きかけることが大事だ。 

 

 お手本のような詭弁である。

 その原則を守るなら、インドへの原発輸出をやめるべきだ。

 

インドは太陽光発電など再生可能エネルギーを増やす計画も表明している。日本政府はエネルギー分野の協力を原子力だけにとどめず、再生エネルギー分野などに広げていくことも考えるべきだ。 

 

 「すべきだ」ではなく「考えるべきだ」、と日経さんが書く時は「考えるだけでいいよ。何もしなくても」という意味である。

 

 このように、本音を口いっぱいにほおばって喋るから、へどもどしてしまうのである。ちょっと落ち着いて読めば、本音がスケスケである。

 

 

 

1時間の食事で男の器量は透けて見える

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経営者には性善説、労働者には性悪説

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 労働者という連中は、目先の欲望のみ踊らされる、考えなしの反知性的な存在である。

 経営者というのは一種の聖人であって、欲望は大きく射程の長いものであり、常に社会について思考し続けている。

 

 …というのが日経さんの基本姿勢である。

 でなければ、こんな恥知らずの社説は書けないだろう。

 

 そのなかで企業に考えてほしいのが、非正規で働いていた人の処遇改善も確実に進められる限定正社員の導入だ。

 労働時間を「限定」したり、勤務地を限って転勤せずに済むようにしたりするこの雇用形態は女性の活用に役立つ。仕事と家庭の両立に悩む女性の就労を支援する。

 技能を持った高齢者の受け皿にもなる。企業は限定正社員制度を競争力向上に生かしてはどうか。

 

 「限定正社員」などと、さもさも良い思いつきのようにして書いているが、要するに労働者諸君は聖人君子たる経営者様さまが正しい道に導いてくださるのを期待しろ、というわけである。

 人間に欲望はつきものであり、資本主義は欲望抜きには成立し得ないと思うが、日経さんは無私無欲で成立する資本主義がどこかにあるとお考えのようだ。

 それは永久機関やフリーエネルギーのような、オカルトまがいのものに思えるのだが。

 

 

永久機関で語る現代物理学 (ちくまプリマーブックス (81))

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