日経さんは麦を食え
なにやら珍妙な社説だ。
これまで全国農協中央会(JA全中)は、投機的なマネーゲームである先物取引はコメ需給と価格の安定をめざす食糧法と矛盾し、コメ先物は廃止すべきだと主張してきた。しかし、農協は農家の経営を後押しする組織へ改革を迫られている。
この文章は、「先物取引をちゃんとやんないと改革とはいえないだろ!」ということか。もう農協はあてにしない、と見切り発車したのではなかったか。それならこんな偉そうなことを書かず、「どうかお願いします」と頭を下げるべきだろう。
とにかく場所だけ作っても、カネもブツもそこに流れ込んでこないのだからしょうがない。
先物市場には公設の取引所として透明な指標価格を形成し、生産者や需要家が価格をあらかじめ固定することで経営に役立てる役割がある。
なるほど。ものは言いようである。
それらの指標価格などを経営に役立てようとするなら、今度は農家の大規模化が求められる。
大規模といえば聞こえはいいが、実際は疑似プランテーションのごときものができあがるだけだろう。
実は、日本経済において「米価」というものはつねに鬼門だった。
高橋是清のリフレが東北の農家をどん底に落とし込んだのは、リフレをスムーズにするために米価を調整しようとし、それが失敗したからだ。このとき、何を考えたのか不要な減反までしている。
戦後の高度経済成長が成功したのは、米価の調整を無難にすすめたことが一つの要因としてあるだろう。
そのことにからめて農協が案じているかどうかはわからないが、「先物取引でいきましょう」「はいそうですね」とはいかないことなのだ。
現在、米の消費量は減っているとはいえ、まだまだ日本人の「主食」である。
ちなみに、戦前の米の「主食」ぶりは凄まじく、普通の人でも一日六合は食べていたという。宮沢賢治が「一日四合」と書いたのは、当時として非常に少なめであったのだ。